その73 一回限りの人生を、何に懸けたら本望なのか

さらに『葉隠』は、我々に対して次のような覚悟を求めてきます(意訳:林)。

「武士道とは死ぬことだ。生きるか死ぬかという場面に出くわしたら、早く死ぬ方を選んで迷いを片付けよ。別に理由なんて無い。腹を据えて進むのみだ。

成功しなければ犬死だからつまらない、などという考え方がよくない。それだと、上方風の格好付けたがる武士道になってしまう。そもそも生死を分ける場面にあって、どちらに行けば成功するかを見分けることは難しい。

自分だって誰だって、生きる方が好きに決まっている。その生きる方に、いくらでも理屈は付く。だが、もしも成功しないまま、おめおめと生きておれば、結局立ち向かわなかったのだから腰抜けでしかない。

さあ、この境目が要注意だ。成功しないで死んだならば、犬死にや、きちがい沙汰だと非難を受けよう。しかし、立ち向かったのだから恥にはならない。この命懸けの生き方が、武士道における立派な態度なのだ。

毎朝毎夕、改めて死を覚悟し、いつでも死ねる気迫を保っておけ。そうすれば、武士道に自らに由る主体性が生まれる。やがて一生落ち度無く、武士の職分を仕果たせることにもなるだろう。」

この文の最初の「武士道とは死ぬことだ」という言葉が強烈なため、葉隠は死に急ぎの武士道だと誤解している人がいます。でも最後までしっかり読めば、さっさと死ねと言っているのではなく、常に命懸けを通せと教えていることが分かります。

私たちは、目の前の事に追われ、日常に流される中で、何が本当にやるべき事かを忘れています。ストレスに満ちた毎日を送りながら、休日にやっと息を吹き返している有り様です。そうこうするうちに、天命や志はすっかり消え去って、あとは漫然と生きるのみの日々となってしまいます。

誰もが死に向かっている以上、どう生きるかは、どう死ぬかと同意義のはずです。一回限りの人生を何に懸けたら本望なのか、何に対してなら命懸けとなれるのか。まさに人生観の、ど真ん中にストレートを投げ込んでくるのが葉隠武士道なのです。(続く)