その75 毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になれ

人間をよく観察していた山本常朝には、武士も人の子であるということがよく分かっていました。それで「自分だって誰だって、生きる方が好きに決まっている。その生きる方に、いくらでも理屈は付く」と言いました。

でも、生きる方に理屈を付けたまま何もしないでおれば「成功しないまま、おめおめと生きて」いるだけとなります。そのままだと「結局立ち向かわなかったのだから腰抜けでしかない」ということになってしまうと。

そして「さあ、この境目が要注意だ。成功しないで死んだならば、犬死にや、きちがい沙汰だと非難を受けよう。しかし、立ち向かったのだから恥にはならない。この命懸けの生き方が、武士道における立派な態度なのだ」と、実に切れ味のいい言葉を続けます。

「境目」は、立ち向かうことなく腰抜けで終わるということと、立ち向かったものの成功しないで死ぬということの間にあります。この境には、武士の生き方として、大きな差があります。

結局、三つの選択肢がありました。立ち向かって成功する、立ち向かったが成功せず犬死にとなる、立ち向かうことなく腰抜けとなって生きている、の三つです。これらの中で、一番いいのは立ち向かって成功することに決まっています。問題は、残り2つからどちらを選ぶかです。

答は簡明です。腰抜けが武士にとって一番恥である以上、兎に角思い切って立ち向かうことが肝腎となります。

そこで山本は、いつでも刀を抜けるよう「毎朝毎夕、改めて死を覚悟し、いつでも死ねる気迫を保っておけ」と諭しました。毎月一回とか、週の初めに一回とかではなく、毎日それも必ず朝晩の二回、しっかりと覚悟を据え直せと教えているところに感心させられます。

人間は弱い存在です。どんなに残念無念な事があっても、しばらく安楽な生活が続くと、たちまちその悔しさを忘れてしまいます。

復讐を忘れまいとする気持ちを表した四字熟語に「臥薪嘗胆」があります。「臥薪」は薪の上で寝ることで、その堅さによる痛みで父親を殺された無念を忘れまいとしました。「嘗胆」は苦い胆を嘗めることで、大敗を喫した悔しさを忘れまいとしました。チャイナ春秋時代の、呉越抗争の故事が元になっています。

父の仇(かたき)や大敗を喫した相手ならば、忘れようにも忘れられないはずです。が、臥薪し嘗胆しなければ次第に気持ちが萎えていくところに人間の弱さがあるのでしょう。それで『葉隠』は「毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身に」なれと教えたわけです。

そうして、常に武士としての覚悟を据え、気迫を保ち続けるならば、「武士道に自らに由る主体性が生まれ」、「やがて一生落ち度無く、武士の職分を仕果たせることにもなる」とのことです。ここまで読めば、派手な死に急ぎの武士道ではないということが、よく分かって頂けるかと思います。(続く)