その77 武士道は国民精神の基本

本章では、綜學の三本柱である「知の文明法則史学」「情の大和言葉」「意の東洋思想」を解説し、三つ目の「意」の内容として武士道を述べてきました。

武士道精神は、決して過去のものではありません。「知の文明法則史学」のところで説明した800年周期論を思い起こして下さい。地球文明は大きく「東」と「西」に分かれ、両者は800年毎に交代します。入れ代わって、それまで高調期(活動期)であった側は低調期(休息期)に入り、低調期であった側は高調期に転換します。

その低調期と高調期を合わせると1600年となります(文明1サイクル)。前半800年は休息+準備のときであり、後半800年は活動+創造のときです。そうして、前半800年の準備が、後半800年の活動の元となるということが分かります。

我が国の場合、鎌倉幕府誕生頃から武家政権の時代となり、それに伴って育まれた武士道が前半800年間の準備内容となっています。従って、武士道の徳目である正義や勇氣、廉潔(小欲で潔白なこと)・廉恥(潔白で恥を知ること)の心は、後半800年の基本精神として、むしろこれから必要とされることになります。

しかし、武士は少数派だったから、国民精神を代表してはいないという反論がありそうです。確かに、徳川時代には士農工商の身分があり、国民の大多数は農民でした。ところが、農民の先祖を辿ると、先祖は源氏系や平氏系の武士であったという者が随分多く、元々武士と農民の区別が曖昧であった事実が見えてきます。農民のかなりが、元々武士(半農半士)だったというわけです。

結局、戦いに負けた側の武士が、落人となって帰農し、土着して農民となったのです。豊臣秀吉による刀狩りも、それをしなければならないくらい武士が多かったということではないでしょうか。徳川時代も幕末に近付くにつれて、農民の中に武芸に励み、その名を知られる者が増えました。その中に、有名な新撰組の近藤勇や土方歳三らがいました。武士道は国民精神の基本なのです。(続く)