その82 人間は、一面だけで判断出来る存在ではない

チャイナ戦国時代に韓という国があり、その国王「安」の子に韓非が生まれました。韓非は若い頃、荀子に学びます。また、実際的な政治改革の実践者である商鞅(しょうおう)が残した教えを吸収し、やがて性悪説に基づいた法家思想を大成させます。それを著した書が『韓非子』です。

韓非の父は王ですが、母は卑賤の生まれでした。そのため、王族(諸公子)でありながら周囲から蔑まれることが多く、韓非は人を軽はずみに信じない性格を持つようになります。また吃音(きつおん)で弁舌が苦手であり、その分、思考を文字に表現するようになりました。

法家思想のキーワードは「中」や「常」、「利」、それから「法」「術」「勢位」などです。中は中程度、常は通常や常態の意で、世の中は「通常、中程度の人々で成り立っている」という事実を示しています。そして、その中程度の人々は、利で動くのが常態です。

確かに、この世には儒家が教える仁や義を重んずる人がいますが、全体から見ると少数派ではないか。また、法を無視し罰を恐れない極悪人もいるが、それも同じく少数であると『韓非子』は指摘します。

そうであれば、この世の主役は、聖人君子でも極悪人でもないところの、中程度の人々ということになります。だから、中や常の人々を対象にした政治を考えていけば巧くいくが、そうでなければ理想倒れに終わってしまうか、秩序の乱れに嫌気が差し、政治を諦めてしまうことになりかねないというわけです。

そこで、その普通の人々で成り立つ社会を治めるために、必要な決まりを定めたものが「法」であり、法を破れば罰せられることになります。人々は罰を恐れて法を守るようになり、社会の安寧が維持されます。

「術」は、指導者が組織をまとめるための手法のことです。成果を上げたら賞せられ、法に違反したら罰せられるという「信賞」「必罰」も術の中にあります。信賞必罰は、組織運営の基本中の基本とされています。

さて、この世が中程度の人々で成り立つということは、指導者も中程度が多いということになります。そこで、中程度の人でも社会や組織をまとめられる仕組みを整える必要が生じます。

そのためのキーワードが「勢位」で、勢位は権勢と地位のことです。リーダーとしての資質が凡庸であっても、権勢(権威と勢力)を保ち、その地位に就けば、人々は従わざるを得なくなって巧くまとまるというわけです。

本当に中国思想は、こうした多面的人間観によって思想がとても豊かです。人間は、一面だけで判断出来る存在ではありません。一人の人間の中に、性善的な面と性悪的な面が同居しているのが普通です。神と悪魔の中間で生きているのが人間なのです。

一般的に韓非の教えは、非常で冷徹な思想と考えられています。人を教化するということを捨てており、人間の成長を諦めていると。

ところが、見方を変えれば、韓非こそ愛の思想家ではないかと思うのです。それは、中程度の人間を見捨てていないからです。儒家が中程度の人を「小人」と呼んで見下しているのに比べて、韓非は小人を社会の主役に位置付けているのです。

「徳治」と「礼治」と「法治」の三者ですが、これらは別々に用いるものではなく、実際には同時に生かされるべきものと思うところです。(続く)