その88 国王として国家を守るか、出家して精神的指導者となるか…

仏教の開祖を、釈尊(しゃくそん)と言います。本名はゴータマ・シッダルタで、釈迦(しゃか)、釈迦牟尼(しゃかむに)とも呼ばれ、釈尊はそれを尊んだ呼び名です。釈尊が生きたのは、紀元前563から同483年にかけてです(前463~前383の説もある)。

釈尊は、ヒマラヤに近いシャカ族の小国カピラバストゥに生まれました。釈尊は、とても感じ易い性格で、幼い頃から物思いにふける傾向があり、老病死に対して恐れを抱きます。

16歳で結婚し息子をもうけますが、世間的な生き方に満たされることはありませんでした。生まれた者は、やがて老い、病に罹って死んでいくという無常(むじょう、定まることがなくて儚(はかな)いこと)に対する悩みは尽きず、その解決を求めて家族も地位も捨て、とうとう出家します。釈尊が29歳のときでした。

釈尊は乞食修行者となって、厳しい修行に明け暮れる者たちの群れに加わったのです。釈尊のように王や王子が出家するという出来事は、当時のインドには、よくあることでした。

シャカ族の小国カピラバストゥは、強国であるコーサラ国の属国でした。シャカ族の国は既に亡国の兆候を見せており、釈尊は国王として国家を守るか、出家して精神的指導者となるかに迷い、後者を選んだわけです。

釈尊は、6年間断食などの激しい修行に励みました。でも悟りは得られず、やがてガンジス川中流域の、後にブッダガヤと呼ばれることになる村の菩提樹の下で7日間の瞑想に努めました。

そうして、人生についての普遍的な真理を掴むに至ります。35歳で悟りを開いたのです。その悟りとともに6年に及ぶ禁欲生活を解き、牧女のすすめる牛乳を飲んで健康を回復しました(牛乳も禁止されていました)。

それ以来、釈尊は北インドを中心に教えを説きます。釈尊には、人格による感化力と説得力に優れていました。

こうして、釈尊の原点は「無常に対する苦しみ」にあり、本氣の立志(天命)は「人々の悩みを救う精神的指導者になる」というところにあったことが分かります。

釈尊の教えは、呪術や祈りに頼ることのない合理的なものでした。何かを当てにするのではなく、自分自身の思考と行為を変えねば意味がないと。

その教えは、宗教と言うよりも、哲学や学問と言ったほうが的を射ています。その要点を、一部ですが述べておきます。

人生は苦しみに他(ほか)ならず、苦しみの原因は、何かに執着する心である煩悩(ぼんのう)にある。この悩ましい煩悩が消えれば、苦が絶たれ、安らぎに至る。

そのためには、正しく思い、正しく語り、正しく動き、正しく瞑想せねばならない。即ち、よこしまな考えを持たず、嘘を言わず、間違った行為をせず、落ち着いて心身を統一すればいいのだ。

煩悩に覆われたままでは、真理に暗く、無明(むみょう)から抜け出せない。この世の無常に気付き、我欲に満ちた自己中心的な生き方から離れ、心を解き放って無我(むが)となろう。

釈尊は旅と説法を続けましたが、ネパールの国境に近いクシナガラの地で病となり、80歳で入滅します。45年間の伝道と教化を終えたのでした。(続く)