その98 空海は、なぜ唐に渡ったのか?

空海は『三教指帰(さんごうしいき)』という本を著します。儒教・道教・仏教を比較し、仏教が一番優れているということを示したのです。それは、立身出世の道から決別し、仏教によって真理探究の人生に邁進することへの決意表明でした。

それ以後、「空白の7年間」と呼ばれる時期を過ごします。徹底的な研究と修行の期間となりました。東大寺をはじめとする南都(奈良)諸大寺で経典を読破し、久米寺では、真言密教の根本経典である「大日経」と出会います。

大日経は、大宇宙の根源仏である「大日如来」が描写されている経典です。大日如来は大宇宙の原理や真理そのものであり、その自由自在な活動によって世界が成立します。

この大事な経典が日本に伝わっていたのですが、誰も読めないまま眠っておりました。それを空海が発見したのです。価値ある物は、それを見抜ける人と出会うことで初めて輝くというわけです。

経典の読破の一方で、空海は山岳修行に励みました。四国や紀州の山々で修行し、密教の独習に努めたのです。

当時の奈良仏教は、学派に分かれて教理の研究が行われており、とても理屈っぽかったとのこと。空海は、その教義中心の状況に疑問を持ちました。そもそも仏教に実践を求めていた空海は、自然な流れとして唐に渡ることになります。入唐(にっとう、唐に渡ること)は、仏教の原点を求めるためであると共に、独習に励んだ密教が正しかったかどうかを確認するためでもありました。

空海は個人の留学僧として入唐するのですが、それには正式の僧侶になっていなければなりません。そこで東大寺で受戒して出家し、遣唐使船に乗り込む用意を調えました。空海は31歳になっていました。いよいよ密教の奥義を修めることになります。(続く)