その101 空海の乗った第一船と、最澄の乗った第二船のみが大陸に到着

空海にとって18歳から31歳までが、志の探究と修行の期間でした。そして、31歳か36歳までが、密教の奥義を修める時期となります。

東大寺戒壇院で受戒(具足戒)して出家し、遣唐使船に乗り込む用意を調えた空海は、数え年31歳の5月12日、遣唐大使の乗った第一船に搭乗して難波(大阪)を出港します。瀬戸内海を通って九州肥前国田ノ浦に到り、そこから大陸へ向かうのですが、途中で暴風に遭い、4隻の船団中2隻は到着出来ませんでした。

到着したもう1隻(第二船)には、後に天台宗を起こす最澄が乗っていました。空海と最澄という、平安仏教の二大開祖が乗った船のみ辿り着くということに、何か不思議な運命を感じてしまいます。

無事到着とはいっても、空海の船は大きく南に流され、福州赤岸鎮というところに漂着しました(約一ヶ月間漂流)。最澄の船は、50日余り漂流してから、明州寧波(にんぽー)に着いています。2隻とも命からがら辿り着いたのです。

空海の唐への旅は、肥前出発から帰国まで、僅か2年4ヶ月に過ぎませんでした。今の常識からすれば、2年以上なら長い期間と感じるかも知れませんが、密教の奥義を体得するには、あまりにも短い期間でした。それに、滞在予定期間は20年間とされていたのですから、超急ぎ足の留学だったのです。

唐の都・長安に着いた空海は、まず古代インドの文学語である梵語(サンスクリット語)をインド僧から学びます。梵語の習得は、仏典を原点から研究するためです。空海の志に感動したインド僧は、自分が訳した膨大な仏典を空海に渡してしまいます。

そうして、いよいよ密教の第一人者である恵果に師事するのですが、その期間はたったの6ヶ月間でした。そのとき、恵果は60歳、空海は32歳です。

空海は瞬く間に密教の奥義を極め、次々と灌頂(かんじょう)を受けました。灌頂は頭頂に香水(こうずい)を頂く儀式で、灌頂を受ける度に密教における地位が上がっていきます。空海は約3ヶ月の間に、胎蔵界・金剛界・伝法阿闇梨(でんぽうあじゃり)の灌頂を受けました。この短期間に3つの灌頂を受け、密教の王位である伝法阿闇梨に到達するというのは、異例中の異例と言える出来事でした(伝法阿闇梨位の灌頂名は「遍照金剛」)。

恵果には千名の弟子がいたそうですが、インド伝来の密教の正統を受け継げる者はおりませんでした。高弟の義明という優秀な僧がいたものの、既にこの世を去っていました。要するに恵果には後継者がおらず、それが師として最大の憂いだったのです。

千名もの弟子がいれば、優秀な人が多数いそうなものですが、なかなかそうはいかないようです。資質に優れ、根気よく熱心に修行し、核心を的確に掴んで自分のものとする。部分に囚われることなく、教えの全体像を理解した上で、人に伝えられる構成力と指導力を身に付けていく。性格が素直で頭脳が聡明、そして最高の熱意を兼ね備えている。そういう者となると滅多に現れません。師の全てを受け継げる器量を持った弟子というのは、万人に一人いるかどうかとなるのでしょう。(続く)