その107 全ては一つにまとまり、一つの中に全てが生かされている

仏性は「宇宙と結ばれた個々の本性」です。全ての存在に仏性が宿されており、誰でも「目覚めた人」になれるということを悟る段階が第八住心でした。続く「第九住心」では、その仏性の大本を「統一」というカギによって究明していきます。

統一は「一つに統(す)べる」、つまり一つにまとめるということです。一つにまとまれば、それが全体となります。大和言葉では、全体を「全て(すべて)」と言います。

「すべて」の「す」は進む・鋭いの「す」、「へ」は辺(へ)・舳先(へさき)・縁(へり)の「へ」、「て」は手・照る・出るの「て(で)」です。先頭を進む「す」と周辺の「へ」が、「て」で結ばれている様子が「すべて」(全体)です。「統べる」と「全て」は同根語です。

宇宙にこの「統一」というカギを当てれば、一体何が見えてくるのでしょうか。それは、全てに仏性を与えている大本(統一の根源)であるところの毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。毘盧遮那仏は、宇宙太陽仏とでもいうべき「光の仏」であり、東大寺の大仏様が有名です。その毘盧遮那仏が遍く照っているから、全てに仏性が宿されることになります。

なお、宇宙に広がる光のエネルギーを、大和言葉ではミイツ(御稜威)と言います。また、宇宙全体に飛んで行った一つ一つの超微粒子のことをナホヒ(直霊)と言います。ミイツもナホヒも、その大本は、大宇宙根源神であるアマノミナカヌシの神(天之御中主神)です。アマノミナカヌシの神は、次の第十住心のところに出てくる大毘盧遮那仏(だいびるしゃなぶつ、マハー・ビルシャナ)に当てはまります。

全世界に毘盧遮那仏の光が遍く及んでおり、一切が大宇宙根源から広がったものならば、全てに仏性が宿されていて当然です。だからこそ、全てに救われる可能性があるというわけです。

そして、仏性を頂いたあらゆる存在は、元々大宇宙の根源から分かれたものですから、組み合わさり、関わり合い、絡み合うのは当然です。必要な要素が組み合わさることで成立している個々が、それぞれ自性を発揮しつつ、さらに個々同士が組み合わさって、もっと大きな全体として統一されていくのです。生命体・生物群・生態系などが、その典型的な例です。

兎に角あらゆる有機的な存在は、一つの全体として組み合わさり、統一されて成立しています。全ては一つにまとまり、一つの中に全てが生かされております。まさに小宇宙であり、一即多・多即一という生命的世界観がそこにあります。そうして、全ての存在に価値と意味があるという大肯定の精神が生まれていきます。

この第九住心は「極無自性心」(ごくむじしょうしん)と言います。「無自性」は、全体が組み合わさり刻々と変化しているから、固定的な自性が無いという意味です。「極」は、顕教としては至極の教えであることを示しています。宗派では、第九住心は華厳宗に当たります。

第九住心に到り、世界が一つに統一されていることを悟りました。大宇宙は、その根源の働きによって光に満ちていることも掴みました。

さあ、ではどう生きるかです。第九住心までは、第十住心の因です。第十住心へのカギ、それは「宇宙」または「即身成仏」です。(続く)