その118 綜學的組織~個は全体の発展を担い、全体は個をもれなく生かす

漢方では身体と精神を分離しない。怒り過ぎると「肝」を、喜び過ぎると「心」を、思い込み過ぎると「脾」を、悲しみ過ぎると「肺」を、恐れ過ぎると「腎」を悪くすると述べましたが、このことは経験的に何となくお分かり頂けるものと思います。

肝臓にはアルコールを分解する機能がありますが、怒りのストレス解消のために深酒すれば肝を悪くします。あまりにも嬉しいことの後で、ほどなく亡くなる人が出るというのは、感極まって心臓がショックを受けたせいかも知れません。

くよくよ思い悩んでばかりいると活動力が鈍り、運動不足と共に脾(脾臓・胃腸・膵臓)による全身調整機能が衰えてしまいます。悲しみ過ぎると胸が痛くなり、呼吸が浅くなって肺を悪くするでしょう。恐怖が続けばオシッコをちびるばかりとなり、腎機能にも悪影響があるだろうというわけです。

それから、肝・心・脾・肺・腎は、臓器それ自体を指しているのではなく、それぞれの臓器を基本とした全身調整の機能を意味しているとも述べました。即ち、それぞれの臓器は、それ自体が持っている(狭い意味での)機能を担えば済むというのではありません。固有の働きを果たしつつ、さらに全身の保全に対する責任を負っております。肝にも心にも脾にも肺にも腎にも、心身全体を我が事と受け止める“責任感”が伴っているのです。

これを人間組織に置き換えれば、人事・経理・営業・開発・製造などの部門担当者は、それ自体の役割を果たせば終わりというのではなく、常に会社全体を観、大局的な動きを掴んだ上で職務を遂行していかねばならないということになります。

そうして、個(個人や部門)は全体の発展を担い、全体は個をもれなく生かすよう努めていくのが組織の基本であり、そこに綜學的な組織運営の姿があります。

それから、全体調整には中心の存在が不可欠です。自治体なら市町村長、オーケストラなら指揮者、会社なら社長です。

生命体にも、勿論中心があります。古神道では、心身の中心に位置する直霊(なほひ、超微粒子的な構成要素)を生魂(いくたま)、その周囲に集まる直霊を足魂(たるたま)といい、それによってまとまった個体を玉留魂(たまとまるたま)と呼んでいます。(続く)