その127 王陽明の教え~明徳と親民は一つ、それをマトリックスで示すと…

この四元論を用いますと、今までいかに二者択一思考に囚われていたかに気付かされます。どれほど勉強しても、基盤が二元論のままでは、結局部分観から抜け出すことが出来ません。知識が増えれば増えるほど、思考が断片的になってしまう恐れがあります。

もともと四元論は、王陽明解説の「大学三綱領」を、分かり易く説明するために図示したのがきっかけでした。そのときの文を、そのままご紹介します。29歳頃の文章ですから、稚拙であることはご勘弁ください。

「陽明学と志」 林 英臣

★何事も志が基本

私の学んだ松下政経塾では、志の確立を一年生時の研修目標の第一に掲げておりましたが、陽明学の祖である王陽明(一四七二~一五二八 中国明の時代の思想家)は、志を立てることが全ての基本であると教えました。

「志立たざれば天下に成るべきの事なし」がそれです。そして「志が立っていないのは、舵のない船や轡のない馬のようなもので、あてもなく漂ってしまう」、「志は木なら根、水なら源であるから、志が立っていないと木が枯れ、水が止むように事は成就せずに終ってしまう」と立志の必要を強く訴えました。

★志の意味とは

ではそれほど大切な志とは一体何でしょうか。弟子が学問について質問しましたら、陽明は「志を立つるのみ」と答えられました。そこで、それなら志を立てるとは何であるかと問いましたら、「学をなすのみ」と述べたそうです。

志と学とは切り離せない関係にあるとの事ですが、当時にあっては四書の一つ『大学』の説く「修身斉家治国平天下」に学の根本がありました。

ですから、自己を修養し、世のため・人のために尽くすのが学の目指すところであり、同時に志の意味であったのです。それが、聖賢の進む道で、「人はまず聖人となる志を立てねばならぬ」と陽明は最初に唱えたのでした。

★『大学』の三綱領とは

さらに『大学』には、聖人の心がけと実行の基本として、次の三つを綱領に掲げています。
「明徳」万人に備わる天性の徳を明らかにすること
「親民」民に親しんでこれを教養すること
「至善」人生最高の目的や理想

そしてこれら三綱領のうち、陽明が明徳と親民についてバランスの必要性を訴えている点が興味深く思います。

曰く、明徳だけを重視して精神性を高く清くするのはよいが、親民すなわち社会性を忘れていると、仏教や老荘などの虚無・無用の道に陥って結局社会に役立たなくなってしまう。一方、親民ばかり大切にして社会にもまれるのは結構だが、明徳を知らずにいると、私利私欲に走って却って社会に悪をなしてしまう、というものです。これについて私なりに説明の図を考えてみましたので、次に紹介させて頂きます。

★万物一体の仁

それから、明徳・親民・至善を説いた『大学』を陽明は大人の学とし、万物一体論を展開しました。他人の痛みを自分の痛みのように感じ、国を自分の家のように心配し、天地万物を一つのつながりとして理解しようということです。そして、そのように意識できる能力は、誰にも備わっているとし、それを「良知」と呼び、良知をもとに志を実行することが有名な「致良知」です。

知行合一(知識と行動は分離しない)や、事上磨練(実社会の中で鍛錬せよ)を唱えた陽明学は、その行動へのモチベーションの強さから危険思想とも思われてしまう一面がありました。しかし実際は、人間に生まれ備わったまごころを尽くせば、誰もが聖人になれるという誠意の教えです。

ここまでが、当時浜松で開いていた勉強会の会報からの引用です。会の名前は「スクラムの会」でした。

『大学』三綱領の図示ですが、マトリックスの縦軸が「明徳」、横軸は「親民」です。縦軸の上に行くほど精神性が高まり、横軸の右に行くほど社会性が強まります。

これを四マスで観ますと、右上は「明徳+親民」、左上は「明徳+反親民」、左下は「反明徳+反親民」、右下は「反明徳+親民」となります。

右上は陽明の説く明徳・親民のバランスの取れた聖人の学問の道、左上は仏教や老荘の徒に起こりがちな社会に背を向けてしまう弊害、左下は自分で自分をダメにしてしまう閉塞状態、右下は精神性が低いまま私利私欲によって争い合う人たちの世界を、それぞれ示していることになります。そして、右上の方向に「至善」があります。

二元論のままですと、精神性を重視して社会性を失うか、社会性を優先して精神性を低めるかの、どちらかになりがちです。本来、両者のバランスを取る道があるはずで、その先に、人生最高の目的や理想であるところの「至善」が待っているというのが陽明の教えでした。筆者にとって、最初に四元論を用いて説明したのが、この話だったのです。(続く)