その52 漢字の「氣」は、大和言葉では「ミ」や「ヒ」に相当

なお、日本人は「氣にするな」とか「氣のせいだよ」などと口にし、氣という漢字をハッキリしないものを表すときに用いていると述べました。それに対し、「氣」は実在するエネルギーであるとするのが中国人の考え方なのですが、日本人にこのエネルギーに関する考え方が無かったのかというと決してそうではありません。

「氣」は、大和言葉では「ミ」や「ヒ」に相当します。ミは実や身、満ちる、水(みづ)のミで物事の実質(粒子)を、ヒは日や火、光るのヒでエネルギー(波動)を表します。

そして、ミとヒは意味が重なります。威厳のある強い光りのことを御稜威(みいつ)と言い、ミ音が付きながらエネルギーを示します。また、大宇宙の根源(中心)から真っ直ぐ広がって行った一個一個の超微粒子のことを直霊(なほひ)と言い、ヒ音が付ながら実質を表しています。

従って、ミとヒは「同一の物」に対する見方の違いで、実質と見るかエネルギーと見るかで「ミ」にも「ヒ」にもなり、そもそも両者に境界線はありません。それは、光や電子など「量子」が持っている、粒子性と波動性の二つの性質と共通することになります。

「氣」は、集まれば存在(物質)となり、拡散すればエネルギーとなるのですから、氣も量子(超微粒子)としての実在と捉える(仮定する)ことが出来ます。この氣に相当するミやヒが大和言葉にあるのですから、エネルギーに関する考え方が日本にもあるということがお分かりいただけたかと思います。

勢いを一点一瞬に集中させ、そこに氣を通す。それによって威力を増大させるというやり方は、元来日本人のお得意芸です。仕事や鍛錬の際、氣を抜かず、氣を込めて行うことをモットーとしてきたのです。

我々も勢いを「ヒ」に出し、それを大きな「ミ」とすることで威力を高め、しっかり氣を入れ、何事にもトドメを刺していきましょう。

ところで、戦いにおいて、大義名分(その行動の根拠と正義)が、普段に無い「勢い」を付けることがしばしばあります。例として「弔い合戦」があります。大事な人の死を弔うという、極めて分かり易い目標が大義名分となることで「氣」が高まり、皆の心が一つになり団結して戦えるのです。(続く)