その64 必勝の境地は、微妙にして目には見えず、神秘にして耳には聞こえない

さて、兵法は固定された方法でも、枠にはまった技術でもありません。あらゆる戦いは、その場・その時に、そこにいる人たちによって起こされる一回限りの活動です。毎回が初回なのですから、そもそも固定させたり枠にはめたり出来るものではないのです。

但し、似ている状況やパターンというものはあります。二度と同じ戦争は発生しないものの、近似した情勢は起こり得るわけで、そこから勝敗の条件を抽出し、一定の対応法(戦法)を導き出して体系化したのが兵法なのです。

則ち兵法は、常に変化している力関係の中で、勝利を引き寄せるための生き生きした知恵そのものです。頭で覚える知識とは全然違う、動きのある実学に他なりません。

ところが、兵法を「こういうときは、こうしておく」とか「こう来たら、こう返す」とかいう、予(あらかじ)め決められた固定的技術として覚えてしまおうとすると頭が固くなってしまいます。

戦う度に初めての相手と出会い、新しい状況に向き合うのですから、本日初戦という新鮮な気持ちを決して忘れてはなりません。過去の経験をヒントにしつつも、その場その時に似合った新調のスーツを仕立てるように、常に新たな戦い方を創造するというところに兵法の醍醐味があるのです。

そういう躍動感のある兵法に則った戦いというものは、毎回毎回そのとき一回限りの表現に努力する、演劇や音楽のような創作活動と共通点があると言えるでしょう。同じ演目を何度も上演し、毎日繰り返し演奏していても、役者や会場がいつも一緒とは限りません。聴衆は変わりますし、気候や季節も移り行きます。自分の心身の状態だって、日によって異なります。だから、毎回“一回限りで終わり”となるのです。

その毎回が一回限りという中で確立される必勝の境地は、微妙にして目には見えず、神秘にして耳には聞こえません。その微妙さと神秘さの中に、孫子の教えの核心が潜んでいるのですが、それは実戦で掴んでいくしかありません。

言葉で教えられるところから先は、体験を通して覚って貰うしかないという歯がゆさが「微妙の上にも微妙にして無形に至り、神秘の上にも神秘にして無音に至る」という言い回しを取らせたのでしょう。

その無形にして目に見えず、無音にして耳に聞こえないというところに、敵の運命を握って離さない「司命(運命を司る)」の境地があるとのことです。(続く)