No.2 達人や天才が、愚かに見える理由

強い意志が「念子」を放つ

霊感のある女性が、素人なのに立派な仏像を彫刻してしまったというのは、常識的には一笑に付される荒唐無稽な話です。でも筆者は、可能性として、あり得る現象だと思っています。インドの仏師の霊が本当に乗り移ったということの意味を、次のように考えているからです。

この宇宙は、分子・原子・素粒子・光子など、微細なエネルギーで成り立っている。人間も氣(エネルギー)の固まりであるが、願いや祈りなど、強い意志を持つことによって、精神エネルギーを放つことが可能となる。それを仮に「念子」と呼ぶ。

力強い光が遠く何億光年という彼方に届くように、強く刻まれた念子も、消えることなく残り続けていく。それを、今生きている人が巧みに吸収したとき、まるで霊が乗り移ったかのような現象を起こしてしまう。それぞれの分野の、過去の天才が残した念子に同調すれば、その力が自分の中に再現され、偉大な創造力や活動力を発揮することが可能となる、というものです。

自分ではない、目には見えない力に動かされる

ところで筆者は、天才出現の要素として、才能と努力と時代の3つを挙げています。文学なら文学、音楽なら音楽に向いた才能があること。その才能を十二分に生かせるよう努力を怠らないこと。それから、時代がそれを必要としている、ということの3点です。

I氏の奥さんの場合、元々芸術の才能があったのかも知れませんが、彫刻の勉強や技術の錬磨を飛び越して、いきなり仏像を彫刻してしまったところに驚かされました。仏師の念子を、そのまま素直に吸収したから出来た技なのだろうと想像します。仏法によって、何としても日本を救いたいという使命感が強かったために、仏師たちの念子が最高度に集まってきたということではないでしょうか。

達人、あるいは天才の仕事には、大なり小なり似たような現象が起こります。自分がやっているようでありながら、自分はただ使われているだけという感じがする。自分ではない、何か目には見えない力によって動かされているのを自覚する。特に仕事が乗っているときに、そういう状態になるようです。

その目に見えない力が、念子の働きではないかと思うのです。つまり、天才的とも言える仕事は、念子を受け入れることによって成されていくのではないかということです。

東洋思想が、なぜ虚や無、空を説くのか

達人や天才には、常人とは違うところがあり、むしろ愚かではないかと思えるくらい空虚な一面を持っております。その空虚さが念子を吸収する器となって、大仕事を果たしていくのでしょう。

では、如何にして己を虚しくするか。それには、出来るだけ無私無欲になることです。私利私欲が強いままでは、小我を超えることが難しいですし、質の高い念子を集めることは出来ません。成長しようにも、限界が早くやってまいります。

東洋思想が、なぜ虚や無、空を説くのか。それは虚無、空無にならなければ器量を養えず、器量がなければ念子を集められないからだと思います。同志を結集するのに必要な心得も、全く同じことです。

とにかく、己を削いでいき、虚しくしていくということ。そこに東洋的達人への道があるのです。(続く)