No.3 大成は欠けて見える

いかにも「らしい人」というのは、まだまだ不完全

何事も、最初は形(かたち)から入ります。礼儀作法や諸芸の稽古など、みなそうです。教えられるまま形式を身に付けていくことから始まり、やがて形が様(さま)になってくると、それに伴って心が成長している自分に気付きます。覚悟や落ち着きというものが養われてくるのです。

どんな分野にも、いかにも「らしい人」がいます。いかにも教師らしい人、いかにも芸術家らしい人、いかにも武道家らしい人、いかにも政治家らしい人などです。

一流の人ほど、それらしい人に見えるのが一般的ですが、老子に言わせますと、まだまだ上があります。老子は、真に完全なものは、むしろ不完全に見えると考えました。その考えに従えば、いかにも「らしい人」、つまり完成しているかに見える人は、実はまだまだ途中の段階の人ということになります。

ある段階からは、形を抜け出すことが重要になる

形から入ることは、とても大事なことです。しかし、ある段階に到りますと、形を超えることが重要になります。自然に形を抜け出し、自分の流儀を確立することが求められてきます。

そこに到達しますと、一体何をする人なのか分からないくらい自然体になってまいります。教師らしくないのに生徒はしっかり育っていく。政治家らしくないのに世の中が治まっていく、といった段階です。いかにも教師らしく教えようとしていないのに、自ずと生徒は成長し、政治家らしく有能そうに構えていないのに、世のため人のため考えていることが実現していくといった状態です。

勿論それは、十分に基礎(形)を身に付けた先に待っている世界の話です。初めから自分勝手にやることを認めているわけではありません。

完成していないように見えるのが、本当の完成

《老子・第四十五章》
「真に完成したものは欠けているかのようでいて、用いてみると破れたりしない。真に満ちたものは虚しいかのようでいて、用いてみると尽きることがない。

真っ直ぐなものは曲がっているかのようであり、精巧なものは稚拙なように見え、雄弁は口下手に聞こえる。

喧噪が勝てば寒くなり、静寂が勝てば熱くなる。清くて静かなものは、天下の長(おさ)となるのだ。」

※原文のキーワード
真に完成したもの…「大成」、破れない…「不弊」、真に満ちたもの…「大盈(たいえい)」、虚しい…「沖(ちゅう)」、尽きない…「不窮」、真っ直ぐなもの…「大直」、曲がっている…「屈」、精巧なもの…「大巧」、稚拙…「拙」、雄弁…「大弁」、口下手…「訥」、喧噪…「噪」、静寂…「静」、清くて静かなもの…「清静」、長(おさ)…「正」

真に完成したもの、それを「大成」と言います。大成は欠損しているかのようでありながら、それを実際に使用してみると円満充実している。また、真に満ちたものを「大盈」と言います。大盈は空虚なようでありながら、それを使用してみると無尽蔵であると。

完成していないように見えるのが本当の完成。充足していないように見えるのが本当の充足。この老子の教えから、東洋的達人のイメージを探ってまいりましょう。(続く)