No.6 付き合いの悪い奴、孤独で変わった人などと思われても…

人と衝突してばかりいるのは、決して真っ直ぐな生き方ではない

では、「大直は曲がって見える」ということを、私たちの人生に置き換えてみましょう。すぐに浮かぶのは、やたらに摩擦を起こし、人と衝突してばかりいるのは、決して真っ直ぐな生き方ではないだろうということです。

無闇に人とぶつかる人は、実は優れた能力を持っています。優秀だから、人の欠点や問題点がよく見えます。見えてしまうと、どうしても言わないではいられなくなって、あれこれ意見します。それが、どうしても言い過ぎになるから、衝突になるというわけです。

そういう人には、せっかくの本人自身の実力を、まだ十分生かし切っていない様子が、しばしば見受けられます。「自分はこれで行くんだ」と表明出来るほどの志が定まっていなかったり、人生を賭けられる夢が不明瞭だったりという状態です。それで、つい力を持て余してしまい、気が付くと不満が溜まってきて、その矛先が他人に向いてしまうのではないかと思われます。

我が志と無関係なことに、いちいち腹を立てない

自分は確固たる志を立てていると自認していても、聞いてみると漠然とした夢を語っているに過ぎない場合がよくあります。「志を立てている」と言うからには、次の要件を満たしている必要があります。

自分を磨き高めることと、世の中の役に立つことが一致していて、両者を結ぶ具体的な方法が確立されていること。その方向に進むことで、自分らしい幸せを実感出来ていること。

つい目の前のことに引っかかってしまい、起こさなくてもいいはずのケンカを始めてしまうというのは、志が定まっていないということも、原因の一つになっているのではないでしょうか。

志が明確で、人生を賭けるものを持っている人ならば、つまらないことでもめたり、どうでもいい摩擦で躓いたりするなど、後ろ向きのエネルギーを取られることを一番嫌います。ブレーキになることに関わっている時間が勿体ないからです。

そうであれば、我が志と無関係なことに、それほど腹を立てなくなるはずです。そして、自分にとってつまらないことや、どちらでもいいことから、自然に遠ざかるようになります。そうして大直に生きていく様子が、端からは曲がっているかのように見えてしまうということです。

志によって、大直に生きる

これは、大事なことを避けていく逃げの人生ではありません。臆病だから逃げるとか、面倒だから無関心を装うとか、億劫(おっくう)で知らないふりをするなどといったこととも違います。

そうではなく、中身の無い(乏しい)人間関係に大事な時間を奪われたり、志につながらない雑事に翻弄されたりすることのないよう、自分を大切にする真っ直ぐな生き方を勧めているのです。本人は志によって、まさに大直に生きていくわけです。

しかし、周囲からは付き合いの悪い奴、孤独で変わった人などと思われるかも知れません。大直に生きようとするほど、あれこれ回避しなければならないことが生ずるのだから、それは使命に生きる者の宿命です。その我が道を行くという生き方自体が、摩擦の元ではないかという批判もあるでしょうが、本当の自分を大切にする以上、率直に言って仕方のないことです。

自分の舞台は、自分の活動で起こせ!

それから、働きや作用となる力で空間が広がる、ということも置き換えたいポイントです。空間、すなわち自分の舞台は、自分の活動で起こすのです。

それは、自分の会社や活動体、あるいは顧客や市場の創造でもあります。最初に空間があって、そこで動けばいいというのではなく、活動のための空間は自分で拡げなければならないという教えです。

なお、「無」について一言。無は何も無いという意味だけでなく、無いと感じるくらい統一された状態のことをも表しております。無心とは一心であり、一つのことに集中した状態なのです。この「無を体得」するということも、東洋的達人に必須の事柄ですが、追々述べていきましょう。(続く)