その91 松下幸之助塾長は、サロンではなくパーティを起こされたかった…

さて、サロンとパーティという言葉があります。サロンは同好の士が三々五々集まって意見を交換する場であるのに対して、パーティは共通の目的の下に事業を進める活動体を意味します。

文学サロンならば、小説家が集まる喫茶店などが場になっております。そこに活動のリーダーはいませんし、組織があるわけでもありません。しかし、そのサロンから文学運動が起こされて機関誌の発行に至れば、パーティ(党)と呼ぶべき活動体となります。

軍隊の組織はどうかというと、軍法があって各員の任務が明確です。指揮系統がハッキリしており、勝つための組織として一丸となって敵に向かいます。ですから、これはパーティ以上のパーティと言えます。個人戦の寄せ集めではなく、集団が一個の生命体のように統制された動きを示せてこそ勝利を得られるというのが、孫子が理想とした軍隊組織なのです。

ところで筆者は、松下幸之助塾長は、松下政経塾をサロンではなくパーティとして育てたかったのだと受け止めています。軍隊ほどでないのは当然ですが、活動体としての一定のまとまりが無いと、結局政経サロンで終わってしまいかねません。

則ち、塾生が個々に成長して活躍すれば、それで塾の目標は達成されたのであり、各人の活動の総和が、ひいては塾の成果になればいいという考え方とは全然違うのです。松下政経塾が一個のパーティとなって日本を変え、人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献するようでなければ、松下塾長は満足されないと。

筆者が塾長を務める政治家塾でも、それぞれ頑張ったことの結果が塾の成果であり、それが塾長への恩返しになると考えている者がおります。それも一つの考え方であって全否定はしませんが、やはりそれはサロンとしての方向性であって、一党としての活動とは次元が異なります。

そこのところを勘違いされないようきちんと講義しませんと、「松下塾長が本当にやりたかった塾を林塾でやる」と訴えてきたことの積み重ねが、いつの間にか水泡と化し、為すところ無く萎(しぼ)み去ってしまう恐れがあります。(続く)