No.10 強者の役割とは何か

地球から宇宙に放出される念子のレベルを高めよう

人類は、そろそろ人類全体として進化すべき時期に来ていると思われます。いつまでもエゴむき出しで、醜く争い合っている場合ではないでしょう。行き着く先が崩壊では、あまりにも情けないです。

東洋思想では、力で無理矢理相手を倒すやり方を覇道、徳で自然に相手を抑えるあり方を王道と言います。これまでは覇道文明が世界を覆っていましたが、将来は王道文明で地球を包み込まねばなりません。

強い者が弱い者を倒すのは当然。弱者が姿を消し、強者が生き残れば全体の向上になる。そういう考え方のままでは、人類は動物意識の次元から脱皮向上することが出来ません。人類の霊性を向上させ、地球から宇宙に放出される念子のレベルを高め、宇宙の進化に参画するのが、これから先の人類の使命と思うのです。

そのためには、体力や知力、金力など、何かで他人より優れた能力や資質を持っている者は、それを自分のためだけに使うのではなく、世のため人のため生かすようにしなければなりません。体力の強健な者は、体力の劣る者を労る。知恵に秀でた者は、それの苦手な者を補う。金力に恵まれた者は、金の足りない者を助ける。そうして、力の弱い者を守り、能力の不足する者を助けるところに、強者の役割があるはずです。

縄文時代~脊髄性小児麻痺でも成人するまで生きられた

動物の世界を見ますと、生き残るのは正常に生まれた者であって、障害を持って生まれた弱者が生きていくのは大変難しいことです。いや、正常な者であっても、必ず大人に成長するまで生きられるかどうか分かりません。魚類などは、沢山の卵を生みながら、成魚になるのはほんの僅かです。

しかし、人間社会の場合は、お互い助け合って生きていけますから、障害者であっても長期の生活が可能となります。縄文時代の北海道の遺跡から、脊髄性小児麻痺に罹患しながら、成人するまで生きていたことが確認される女性人骨が出土しています。麻痺で体が不自由になりながらも大人になるまで生きられたのは、回りにいる者の助けがあったからです。

真の文化社会とは、弱者がハンデを背負いながらも生きていける世の中のことでしょう。そういうことから、弱い者いじめは、人として最低の行為であることをお互い自覚したいものです。

そのためにこそ、強者はもっと成長し、能力ある者が大いに活躍しなければなりません。真の強者とは、まさに「気は優しくて力持ち」という金太郎のような人のことでしょう。(続く)