No.12 公利公欲という大局に立った希望や理想を、大いに起こせ

発展への希望を失ったら、そもそも人間が存在している意味がない

より良くなりたい、もっと伸びたいという意欲は、人間の成長や社会の発展にとって必要な精神です。大宇宙は生成発展を基本原理としており、人間社会もそれに合わせて成長するのが自然の姿です。発展への希望を失ったら、そもそも人間が存在している意味を見失うことになりかねません。

しかし、老子は「足るを知れ」と戒め、人間の持つ欲望に待ったをかけてきます。「禍(わざわい)は足るを知らないほど大きいものはなく、咎(とが)は欲得ほど大きいものはない」と。

足るを知るというのは、既に十分与えられている事実を知れということです。必要なものは、もう備わっているのに、なかなかそれに気付けない。それが「禍」です。それから「咎」はあやまちのことで、全体が悪くなっても構わず自分だけ儲けようといった、飽くなき欲得ほど人としてあやまちはありません。

金持ちを消滅させても、単に皆が貧しくなるだけ

この「知足」の精神がないと、私利の拡大と、私欲の膨張ばかりを求めて止まない世の中になってしまいます。欲望の炎で社会が燃え尽きてしまわないためにも、単なる自分の利益や、我欲による個人的な成功などについては、本章の教えの通り「足を知る」よう心掛けるべきでしょう。

また、人間社会を却って複雑にするだけの発明や、目先の欲望をどこまでもエスカレートさせてしまうような刺激に対しても「足るを知る」、つまり調和の取れた発展や、程良い満足を基本にすべきことになります。

そうすれば「足るを知ることによる充足」が得られ、「常に満ち足りていることになる」というわけです。

一方で、私利私欲ではないところの、全体の利益、みんなの幸福のためには、むしろ大欲でなければならないのも事実です。抑えるべきは、際限のない自己中心の欲望に対してであり、公利公欲という大局に立った希望や理想は、これを大いに起こし、精力を善用すべきです。

金持ちを消滅させても、単に皆が貧しくなるだけです。知恵者を排除しても、世の中の進化が止まってしまうだけです。無理矢理平等にするのは、それぞれの素質や持ち味を損ねるだけで全然意味がありません。そもそも個性というか、何らかの違いが生ずるのは、自然の理法の一つと言っていいものと思うのです。(続く)