No.22 マガツヒばかり見ないで、相手が持っているナホヒを見よう

相手というものは、自分が思うような相手になっていくもの

マイナスのエネルギーと化したマガツヒを、元の真っ直ぐなエネルギーであるナホヒに戻すにはどうしたらいいでしょうか。その第一は、マガツヒも元はナホヒであると思うことです。

対人関係なら、マガツヒばかり見ないで、相手が持っているナホヒを見ましょう。美点凝視や長所発見です。全てマガツヒの固まりという人は滅多にいないもので、よく見ればナホヒを沢山見出せるはずです。たとえ大悪党であっても、自分のことを善人だと思って接してくれる相手には、案外素直になってしまうことがあるものです。

そもそも、善と悪は互いに相容れない対立関係にあるとし、悪魔は永遠に悪魔であると固定化してしまうところに、マガツヒが消えない原因があるのです。元はナホヒだと意識することで、マガツヒにナホヒへの復帰力が働き出してくるというわけです。

相手というものは、自分が思うような相手になっていくものです。こちらの接し方によって、如何様にも変わるのです。

第二に、実際にマガツヒをナホヒに戻す方法として禊ぎ祓いがあります。禊ぎは水で、祓いは空気で清めます。神社参拝のとき、手水舎で手を洗い口をすすぐのが禊ぎ、神官が幣(ぬさ)でバサバサと風を起こしてくれるのが祓いです。

水と空気はどこにでもあるものですが、生命を維持する上で欠かすことの出来ない基本物質であり、どちらにも大きな浄化力があります。禊ぎ祓いは、自宅でも出来ます。手を洗い口をすすいでから神棚に向かい、両手で大きく自分に風を送るようにすればいいでしょう。その後に柏手を打って拝んだら、ナホヒとしての念子が、より多く出て来るに違いありません。

志は光を集中させる虫眼鏡のようなもの

第三は、私利私欲を少なくすることです。次元の低い私利私欲を公利公欲に高めることで、マガツヒはナホヒに再生されてまいります。老子が教えるように自分を後回しにし、周りの幸せを願って無欲に尽力していけば、マガツヒは薄れてナホヒが多くなるでしょう。

私利私欲を超え、公のために努力し、人のために尽くしていく。そういう生き方の人を見たとき、美しいと思う心が人間にはあります。東洋人の、とりわけ日本人に、それが強くあると言えます。

そういう感覚は、和合・調和・互恵などの宇宙の心につながるものです。宇宙の心と人間の心は、互いに通じ合っております。私利私欲を超えて公利公欲に近付くほど、人間は宇宙意識と一体になり、ナホヒに満たされていくというわけです。

第四には、志が必要です。その公利公欲の精神をブレさせないよう、より強固なものにし、具現化させていくためには、志を立てねばなりません。志とは「心が指し示す方向性」のことです。これを明らかにすれば、日々の努力が積み重なってまいります。

言い換えれば、志は光を集中させる虫眼鏡のようなものです。たとえ実力が他人より劣っていたとしても、あれもこれもとやる事を分散させないで一点に集中していけば、その力はとても強いものになります。そうすれば、「志は氣の帥」(孟子)ですから、ナホヒが体中にみなぎり、高レベルの念子を発せられることになります(氣とナホヒは、ほぼ同じものです)。

お詫びや感謝の心は、相手を認め、許す心でもある

それから第五に、お詫びの心や感謝の心を持ちましょう。相手に対して「こんな俺に付いてきてくれて申し訳ない、他に楽な道もあっただろうにすまないなあ、君がいてくれるお陰で本当に助かっているよ」などという、頭(こうべ)を垂れる心を表すのです。そういう心になれば、しみじみと気持ちが鎮まり、呼吸が深くなります。そして、魂が浄化され、マガツヒ化していた感情がナホヒに戻ってきます。

お詫びや感謝の心は、相手を認め、許す心でもあります。そして、自分を含めた人間の不完全さや、大きくは世の中の不完全さ、宇宙の不完全さをも許す心となります。

その許す心を持つためには、悪をも容認する器量が必要となります。松下幸之助翁は「悪も必要」と松下政経塾生に言われました。それは、狭い意味の道徳心を超越した、もっと巨大な精神のことです。摩擦や対立も、進化には必要とする考え方でもあります。これについては、本連載で追々述べてまいりましょう。(続く)