No.24 余計な事はしないほうが、よく治まる

自分の心配を心配してしまう

相手を思いやる上で、つい陥ってしまう間違いがあります。それは、相手の心を掴み、思っているつもりが、いつの間にか自分の都合を心配してしまうということです。「自分の心配を心配している」状態という感じです。

例えば、相手の安否が心配で問い合わせの連絡をしたが、なかなか返事が来ないというようなときに、相手そのものを心配することよりも、相手を心配している自分の不安がいたたまれなくなってきて、その不安な心を早く解消したいという思いから、繰り返し何度も連絡してしまうというようなことが起こります。連絡があまり頻繁になると、相手はうるさく感じ、嫌がることになります。

そういうことは親子関係ばかりでなく、会社での上司と部下の関係や、プライベートな友人関係でも生じます。いずれにせよ、人間関係の距離が近付くほど、起こり得る現象と思うべきでしょう。

それはさておき、率直に言い合える間柄というのは、本当に有り難い関係です。お互い裃(かみしも)を脱いで遠慮なく本音を言い合えるのですから、人間修行にならないわけがありません。

◇良い意味で放っておく◇

繰り返しますが、相手がして貰いたがっていることや、認めて貰いたがっていることをセンサーによって掴みましょう。同時に、相手から報告・連絡して欲しいことをよく伝えます。そこまで出来たら、後はあれこれ言わないで自然体でいれば、次第に良好な関係が築かれてくると思います。

そうして、良い意味で放っておくやり方のことを、老子は「無為」や「無事」と言いました。何もしないことによってこそ物事は為されていき、天下は余計な事をしないほうがよく治まると。そういう姿勢が、人間としての「器量」を大きくしていく基本となるのです。

《老子・第四十八章》
「学問を為せば日に日に(知識が)益していく。(無為の)道を為せば日に日に(余分なものが)捨てられていく。

捨てて、また捨てて、やがて何もしないところに至る。この何もしないことによって、為せないことは無いのだ。

天下を治めるには、常に余計な事はしないほうがいい。余計な事をするようでは、天下を治めるには不十分となるのである。」

※原文のキーワード
学問…「学」、日に日に…「日」、捨てられる…「損」、何もしないところ…「無為」、治める…「取」、余計な事はしない…「無事」、余計な事をする…「有事」、不十分…「不足」

(続く)