No.28 無理とは、天地自然の原理に外れている状態のこと

「わたし頑張ってます顔」に要注意

よく観察しないと、重心が上がり焦ってばかりいる人のことを、「力を尽くして活躍している人なんだ」と勘違いしてしまいます。眉間に皺(しわ)を寄せた「わたし頑張ってます顔」に注意せねばなりません。

むしろ、ぼんやりした顔でいながら、実際は常に先手で準備をし、為すべきタイミングを外さない人のほうに本物がいるものです。そういう人は、為すべきタイミング(適時)ばかりでなく、相応しい位置(適位置)や適度な量(適量)をよく知っています。

何事も、適時・適位置・適量が整ったときに、余分な力が抜けてバランスが取れてきます。そして、無理がなくなって自然体となり、内側から美しさが出てまいります。それが、道家の達人のあり方です。

先述のA君などは、端から見て何もしていないかのように見えてしまうほど、本当は事務仕事の達人でした。いろいろな問題を早く解決したり、問題が起こらないように先手で対応したりするなど、見えないファインプレーにも努めていたのです。

そういう真の努力家は、どんな会社や組織にもいます。リーダーは、彼のような自然体の努力家を見落とさないよう注意しなければなりません。

文明そのものを、一度ゼロに帰したらいいのではないか

さらに老子は、「この何もしないことによって、為せないことは無い」と語ります。繰り返しますが「何もしない」というのは、全然何もしないことではありません。生きている以上、また仕事をする以上、やるべき事はやっているのです。でも、そこに無理がないのです。

無理というのは、天地自然の原理に外れている状態のことです。人間の都合を優先し過ぎて自然破壊が進んだり、個人の都合(要求)に中心が置かれ過ぎて政治が行き詰まったりしているのが無理です。

もともと天地自然には、バランス維持の働きが備わっています。本来自然界は、そこに相応しいものが、必要なだけ生まれるように出来ています。環境と条件が整えば、新たなものが誕生・成長し、行き詰まれば変化・交代が起こります。そうして無理なく進化発展していくのが自然の仕組みであり、その働きを生かすよう、余分なものは捨てていくのが「無為を為す」生き方なのです。

人間社会は、文明が進歩するほど、いろいろなものが作られて複雑化します。何か問題が起これば、それを抑えようとして規制が掛けられ、繁栄が続けば続いたで、要らない制度が定められたり、不要な建物が建てられたりします。

本当にこの辺で、文明そのものを一度ゼロに帰したらいいのではないかと思うほどです。「天下を治めるには、常に余計な事はしないほうがいい。余計な事をするようでは、天下を治めるには不十分となる」という老子の警告を、今ほど必要とする時代はないのではないと考える所以(ゆえん)です。(続く)