No.32 全体から観てどうなのかを考えよう

宇宙の進化に叶うことであれば善

第四十九章で善・不善という言葉が出てきましたが、そもそも何が善で、何が正しいのか。この根本的な命題を考える機会は、案外ありそうでないものです。それについて筆者の考えを述べておきましょう。

結論を大きく言えば、宇宙の進化に叶うことであれば善、宇宙の進化を妨げることであれば悪ということになると思います。あるいは、地球と人類のためになるなら善、地球と人類のためにならないなら悪、日本の使命に重なるなら善、日本の使命から外れるなら悪ということにもなります。

目先の利害得失に囚われることなく、宇宙・地球・人類・日本などを考えの基準に置き、より大きく「全体から観てどうなのか」を考察してこそ、物事の善悪は決められるのではないかということです。

理屈というものは双方に付く

善悪についての議論というものは、その殆どが人間の都合から出てきたものです。自分にとって利があったり都合が良かったりすれば善、反対に不利であったり都合が悪かったりすれば悪になります。全体を観ての判断ではなく、局所を見て善悪を判断する部分観です。

政党同士の討論がそれでしょう。両党が真反対の意見を言っているにも関わらず、A党の主張を聞けばそうだと思い、B党の見解を耳にすれば、それも同感だと感じてしまうことがよくあります。

理屈というものは双方に付いてしまうのです。賛成側にも反対側にも、もっともらしい理屈を、いくらでも飾ることが出来ます。

平行線の自己主張のままでは、いくらやり合っても、なかなか前に進みません。双方が天下国家のために腹を割り、全体から観てどちらがより正しいかということを議論の基盤に据えなければ、埒は開かないのです。

本来、善も悪も無い

また、よく考えてみれば本来、善も悪もありません。そもそもこの世に存在する物は、その一切が尊いのであり、わけも無く生まれた物は何一つありません。その意味で、自然界に存在する物それ自体に善悪はないのです。

繰り返しますが、普通に言われるところの善悪は、多くが人間の都合で決められています。人間社会を円満に成り立たせるために、どういうことが善で、どういうことが悪なのかを定めたのです。

さあ、それらを前提に、全体観に基づいた「正義」について解説しましょう。全体観には、空間的な観方と時間的な観方があり、これを理解すれば、より大きな立場に立ってものの善悪を判断することが可能となります。(続く)