No.37 素知らぬふりが出来るかどうか

自分の心を渾沌とさせておく

「聖人の天下に対するやり方は、囚われることなく吸収し包容するのであり、天下のためには(自分の)心を渾沌(こんとん)とさせておく。万民は皆その耳目を(聖人に)注ぐ。聖人は皆それ(万民)を赤子にしてしまう」。これが、本章後半の内容です。

道家の聖人には、固定した考え方がありません。固定観念が無ければ、表面的な善悪に囚われたりしません。そして、清濁併せ呑むことの出来る包容力が養われていきます。

その包容力の養成のために何が必要かというと、自分の心を渾沌とさせておけとのこと。渾沌は混沌と同じで、区別の付かない、はっきりしない様子のことです。回りから見て、一体何を考えているのか分かり難い状態が渾沌であり、そうしておくと吸収力や包容力が生じてくるというのです。

昭和天皇が好きな相撲取りの名前を明かさなかったように、上に立つ者は、軽はずみに好みを明らかにしてはいけません。トップが好き嫌いを明確にしてしまうと、部下はそれに合わせようと意識し、組織全体が偏ってしまう恐れがあります。

トップと趣味が合う部下はいいでしょうが、全然かみ合わない部下たちは肩身の狭い思いをすることになります。そういうことで仕事が滞らないよう、下から見たときに「今何が好きで、何を欲しがっているのか不明」というくらいが、トップの姿勢として丁度いいというわけです。

「プレゼントごっこ」に部下の神経を使わせない

また、賄賂が横行した場合、権力に擦り寄ろうとする者たちは、実力者の好みを調査するのに腐心(=苦心)することになります。好みをいち早く察し、サプライズとなる贈り物を競い合うのです。「あなた様の好みは、この私が誰よりもよく分かっております。よく気が付くのは、忠誠心の表れでございます」と言わんばかりの、進物合戦が繰り広げられることになります。

そういう「プレゼントごっこ」のような競い合いに、部下の神経を使わせるのは大変勿体ないことです。トップは、ほどほどのところで、それを止めさせなければなりません。

ところが、抜け駆けしようとする者は、どこにでもおります。トップが心を渾沌とさせておけばおくほど、何とかしてその本心を掴もうとして、益々その目を向け、耳を傾けてくるのです。

さあ、そこが肝腎です。決して下の者に本心を覚らせぬよう、素知らぬふりが出来るかどうかです。

それが出来れば、誰もトップに取り入ることが叶わなくなり、欲の出しようが無くなります。そうして、人々を無知無欲な赤子のようにさせておけば、低レベルの取り巻きに囲まれることがなくなります。それが、道家の聖人による「無為のまとめ方」というわけです。(続く)