No.38 女性店員が、デパートの紳士服売場で押し売り

売りたい・売りたいと思うほど売れないのはなぜか

売りたい・売りたいと思っている内は、なかなか売れないものです。昔、岡山駅前のデパートで紳士服売場を覗いたときのことです。ある店の女性店員さんが、とても熱心にジャケットを勧めてくれました。

しばらく説明を聞きましたが、特に気に入った品は無かったので隣のコーナーに行こうとしたところ、腕を掴まんばかりに引き留めてくるのです。そして、一目で似合わないと分かる服を次々引っぱり出して来ては、筆者に無理矢理着せようとしました。

これはたまらんと思い、頃合いを見計らって強く断り、どうにか逃げるように出ていきました。熱心さは認めますが、引いてしまうばかりの体験でした。

その店員は、客の心を全然見ていなかったと思います。金を払ってくれる人間というふうにしか、客を見ていなかったのです。ノルマ達成に焦っていたのかも知れませんが、売ろう・売ろうと思うほど相手の立場を忘れ、お客様の要望や満足という、商いで一番大切にされていることを見失ってしまっていたのでしょう。

確かに意欲が無ければ、何一つ始めることは出来ません。情熱が無ければ、どんな物事も成就しません。でも、それらだけでは部分に囚われて、相手が見えなくなってしまうことになるのです。剣道や空手でも、勝ちたい・勝ちたいと気持ちが高ぶるほど重心が上がっていき、体が硬くなって相手に一本取られてしまいます。

同様に生に執着し過ぎると、却って命を縮めることになると老子は言いました。そういう教えが出ている『老子』第五十章を見ていきましょう。

死地にいなければ死ぬことはない

《老子・第五十章》
「生を出て死に入ることがある。生にいる人々が十に三はおり、死に向かう人々も十に三はいる。人の生において、(生地から)移動して死地に行く者もまた十に三はいる。

それは何故か。生きたい・生きたいという(執着心が)厚いからだ。」

確かに聞く、「よく生を養う者は、陸を行って猛獣に会わず、戦場に入って甲冑や武器を身に付けない」と。一角獣は、その角を突くところが無く、虎は、その爪をかけるとろが無く、武器も、その刃を入れるところが無い。

それは何故か。(その者が)死地にいないからである。」

※原文のキーワード
生にいる人々…「生之徒」、十に三…「十有三」、死に向かう人々…「死之徒」、移動…「動」、生きたい・生きたい…「生生」、確かに…「蓋」、よく…「善」、養う…「摂」、猛獣…「※ワードに漢字無し、虎」、会わず…「不遇」、戦場に入る…「入軍」、甲冑や武器…「甲兵」、身に付けない…「不被」、一角獣…「※ワードに漢字無し」、突く…「投」、かける…「措」、武器…「兵」、入れる…「容」、死地にいない…「無死地」(続く)