No.60 余分なことはしない、そのほうがよく育つ

否定の否定による肯定

為さないから為さない事がないというのは、否定の否定によって肯定を導いていく論法です。「手を加えないことで一切を行っていく」という意味なのですが、こういうあり方の例はいろいろあるでしょう。(あれこれ細かく)教えないから(自分で学ぶことになって)教えられない事がないとか、(安易に薬で)治そうとしないから(自然治癒力が働いて)治らないことがないといったことです。

続いて老子は、「支配者がもしよくこれを守れば、万物はまさに自然に化育されていく」と語ります。「支配者」の元の言葉は「侯王」で、諸侯や君主のことです。指導者や支配者を表しています。

彼ら上に立つ者が余分なことをしなければ、万物は自然に化育するとのこと。
万物といっても、ここでは特に人間を意識しているものと思われます。余分なこととは、人間の本性を損ねるほどに禁止事項を増やすことであったり、無意味な規制ばかり掛けたりすることでしょう。あまりにも窮屈な環境に置かれたら、当然のことながら人民は素直に育たなくなります。

頭ごなしに疑われ、一々根掘り葉掘り聞かれて喜ぶ人はいない

勿論(もちろん)人間には、ある程度の枠組や規範が必要です。それが無いと、何をしたらいいのか分からなくなるからです。お手本や指示が何も無く、「どうぞご自由に」とばかり放任されたままでは、冷たく感じられて淋しくなるものです。

そうかといって、毎日激しい抑圧や干渉に晒(さら)され、精神的監禁状態に囲われていたら、その場から逃げたくなるのが当たり前です。普段の行動を頭ごなしに疑われ、一々根掘り葉掘り聞かれて喜ぶ人はいません。厳しい尋問は、誰だって嫌います。

人を動かす上で心得ておくべきは、やはりバランスや程良さです。丁度いい塩梅(あんばい、塩加減)というものがあるはずです。実際は、どこまでが思い遣りで、どこからが干渉かという境目は極めて微妙です。相手によって異なり、同じ相手であっても時と場合によって違うから大変難儀します。

その辺を承知の上で、落とし所を見極めねばなりません。車の運転のアクセルとブレーキのように、上手く調整してみましょう。そうすれば、案外何とかなるはずです。やがて慣れてきて、多少は左右に揺れながらもバランスを取れるようになります。そこに到ればしめたものです。

自分に付いてきてくれるメンバーや社員の、あるがままの本性をきっと生かせるようになります。家族も同様です。それが「自然に化育されていく」ということの意味だと思います。(続く)