No.58 相手を慢心に導き、油断させるという裏の帝王学

反対の事をすると目的が叶う

縮めたいなら逆に張って(伸ばして)やれ、弱めたいなら逆に強めてやれ、廃したいなら逆に興してやれ、奪いたいなら逆に与えてやれという、反対のことを勧める真意を解説してまいりました。相手を器以上に剛強な状態に導いてやれば、「陽極まれば陰に転ず」という波動盛衰の働きによって、一旦は膨張するものの、必ず縮小廃絶の方向へ向かう。そういう事象は、確かによく起こります。

老子は、この「反対の事をすると目的が叶う」という原理に注目しました。
そして、それを覚る知性を「微妙な明知」と呼んだのです。

しかし、この「逆の原理」は頭で分かっていても、いざ実行しようという場面になると不安が起こります。何しろ、目的の逆方向に導いていかねばならないのですから心配でなりません。相手を今以上に強くしたり興したりすれば、そのままどんどん大きくなって、こちらは押されるばかり。
そうなっては元も子もないという疑惑がつきまといます。

この“常識外れの方法”を理解する感覚は、まさに微妙な真理を掴む明知と言えます。明知とは、微(かす)かな明かりを捉える感受性のことです。

冷やすと温かくなる、苦しむと幸せになる

その一方で、掴んでしまえば案外簡単な原理でもあります。身の回りに、逆の原理のいろいろな例があるものです。例えば、肩の凝りをほぐすために、力を入れながら肩をグッと持ち上げ、ストンと脱力して落とす体操があります。
一度緊張させ、一気に弛緩させる方法です。これを数回繰り返すと、肩はスッと軽くなって楽になるものです。

あるいは水風呂に浸かると、却って体がポカポカして来ます。冷たさに反応して、体を温めようとする力が働き出すのです。血管が締まることで体熱が逃げ難くなることも、温まってくる理由の一つとされています。

また、苦しさを乗り越えたときに幸せを感じたり、一所懸命働いた後の休日に喜びを味わえたりするのも、ある意味で同じ理屈です。毎日が休みで何もすることが無い生活では、空しさと淋しさに襲われるだけです。この「落差による心理作用」が分かってまいりますと、一段と人情の機微に通じ、人の用い方に長けた人になることでしょう。

そして、「柔と弱は、剛と強に勝つ」と続けます。柔弱が剛強に勝つという実例が、天皇という存在であるということを先に述べました。祭祀王として権力を超越した権威を持っている天皇は、老子が教える柔弱の強さ、しなやかであることの逞しさなどを備えております。国民の幸福を祈る慈愛の深さで、剛強な政治家たちを包み込んでしまうというわけです。

明知は、全体を観る目であり、先を読む力

この章の最後は「魚は淵から脱してはならない。国の利器は人に示してはいけない」という言葉で締め括られています。魚が淵から出てはいけないというのは、離れ離れになれない関係のことを意味しています。

決して離れてはいけない関係とは何でしょうか。それは、柔弱が剛強に勝つという波動盛衰の原理と、それを生かす人間との関係のことでしょう。この「原理と人間の密接な関係」を悟ることが「明知」であり、実際に生かせば天下統治の「利器」ともなるのです。

明知はまた、全体を観る目のことであり、先を読む力とも言えます。潮の流れの変化を察知するように、時代の変化や人の盛衰を読み取る一種の先覚能力です。
今は盛んであっても間もなく衰えるだろうとか、これまでの長い下積み期間を抜け、そろそろブレイクする頃だろうなどという予測の力です。

そういう予測を前提に、敢えて与えて大きく膨張させ、思い上がらせてから分裂を待つ。一度持ち上げてから落とすことで被害を拡大させるという、“普段の老子らしくない”冷徹な手法が本章の主題でした。

これは、相手を慢心に導き、油断させることを教えている兵法にも通じます。
覇道世界をも生き抜くための「裏の帝王学」が示されていたのです。帝王学であれば、鋭利な「国の利器」となるのも当然であり、やたらに見せるわけにはまいりません。軽はずみに「人に示してはいけない」と言った理由が、そこにあります。(続く)