No.67 道が失われ、徳→仁→義→礼と下がっていく

徳・仁・義・礼のランク

こうして、徳・仁・義・礼のランクを見ていくと、老子の考え方を以下のようにまとめることが出来ます。

上徳」…無為による徳(人間力)がある
上仁」…作為あるものの、わざとらしい押し付けがない
下徳」「上義」…作為によって、人格者ぶろうとする
上礼」…作為があり、反応が無いと相手を許さない

一番上は「徳の上」で、無為による自然体がそのまま人間力となっています。
二番目は「仁の上」で、作為の意志はあるものの、立派な人に思われたいという押し付けがありません。三番目は「徳の下」と「義の上」で、何かを為すことで人格者に思われたいという意図が丸見えに出ています。最後は「礼の上」で、何かを為したら、無理矢理相手に感動・感激させようとします。

老子にすれば「徳」さえも作為の一つ

老子は言葉を続けます。「だから、(無為自然の)道を失った後に徳となり、徳を失った後に仁となり、仁を失った後に義となり、義を失った後に礼となるのだ」と。

無為自然の「道」が見失われるから、「徳」を言わなければならなくなり、徳が失われるから「仁」を尊ぶようになり、仁が乏しくなるから「義」が叫ばれるようになり、義が薄くなるから「礼」を持ち出すようになるという次第です。

老子にすれば、「徳」さえも作為の一つということになるのでしょう。
「徳は得」であり、徳には人の役に立つという意味があります。勿論(もちろん)人の役に立つことは尊い行為なのですが、肩肘張った意図があると、先にも述べたように押し付けによって却って問題の種にもなりかねません。

あれこれ世話を焼き過ぎて人が育たないとか、堅苦しい型にはめ過ぎて自由な創造力が損なわれてしまうというのでは問題です。あまりにもわざとらしい親切や、自分の思うように動かしてやろうといった「お為ごかし」の行為では困ります。そうではなく、ただそこに居るだけで周囲は癒され救われるという自然体にこそ、老子が理想とする「道」の生き方があるのです。(続く)