No.86 立志という「無」から、大成という「有」へ

氷が解けて水になる…

本章は「天下の万物は有から生じ、有は無から生ずる」という言葉でまとめられています。あらゆる存在は、形のある「有」から生まれ、「有」は目に見えない「無」から生まれるという意味です。

「有」は目に見える形あるもの、存在が明らかで名前が付いているもののことです。あらゆる存在が有から生ずるのは、元になるものが必ず有るからです。氷が溶けて水になり、水が気化して水蒸気になるようなもので、「前段階の有」が変化して「次の段階の有」が起こるというわけです。

そのように必ず元になるものがあるならば、「無から有が生ずる」という変移は有り得ないことになります。前段階の「因」が無ければ、それが変化した「果」に至るわけがありません。にもかかわらず、なぜ老子は「有は無から生ずる」と言ったのでしょうか。

無いということすら無い

日常、我々が意識する無とは、有を前提とした無です。有るはずなのに無かったとか、今まで有ったものが無くなったという意味での無です。これを「相対の無」と言います。

もしもこの世に存在せず、本当に「無い」のであれば、認識することは全く不可能です。見ることも、触れることも、味わうことも出来ません。初めから無いのだから、無いということすら無いということになります。

老子の言いたい「無」が何だったのかと言うと、それは目には見えない意識や想念の大切さではないかと思われます。夢や理想、願いや祈り、志やビジョンのことです。それらは、まだ目に見えませんから無の状態と言えます。

目に見えない無の状態ですが、そこからあらゆるものが実現していきます。夢や理想が現実化し、願いや祈りが叶います。そういうことを老子は、「無から有が生ずる」と表現したのでしょう。全ては立志という無からはじまり、大成という有に結ばれるというわけです。(続く)