No.88 馬鹿にされて笑われることは承知の上

大器は晩成する

大人物ほど、ゆっくり伸びていきます。早く固まることなく、晩節に至っても成長を止めません。そのことを老子は、「大器晩成」と言いました。

《老子・第四十一章》
「上等の士は、天地自然の原理である道を聞いたら、努めてそれを行おうとする。中等の士は、道を聞くと、分かったようでもあり、忘れたようでもある。下等の士になると、道を聞いて大声で笑い出す。だが、笑われなければ、道とするには不十分である。

そこで、格言に次のようにある。

『明らかな道は、薄ぼんやりしているかのようだ。前に進む道は、後退しているかのようだ。平らな道は、凹凸(でこぼこ)しているかのようだ。

最上の徳は、谷であるかのようだ。最高の白は、黒く汚れているかのようだ。広大な徳は、不十分であるかのようだ。真っ直ぐ立てた徳は、かりそめであるかのようだ。質実真正なものは、変化しやすいものであるかのようだ。無限大の方形は、隅角(ぐうかく)が無いかのようだ。

大器は晩成する。大きな音は微かな声だ。大きな象は無形だ。』

道は隠れていて、言葉で言い表せない。ただ道は、よく施し、しかも成し遂げる。」

※原文のキーワード
上等の士…「上士」、努めて…「勤」、中等の士…「中士」、分かったようであり、
忘れたようでもある…「若存若亡」、下等の士…「下士」、大声で笑う…「大笑」、
笑わない…「不笑」、不十分…「不足」、格言…「建言」、次のようにある…
「有之」、明らかな道…「明道」、薄ぼんやり…「昧」、前に進む道…「進道」、
後退…「退」、平らな道…「夷道」、凸凹…「※ワードに無い字、米+糸+頁」、
最上の徳…「上徳」、最高の白…「大白」、黒く汚れている…「辱」、
広大な徳…「広徳」、真っ直ぐ立てた徳…「建徳」、かりそめ…「偸」、
質実真正なもの…「質真」、変化しやすいもの…「渝」、無限大の方形…「大方」、
隅角…「隅」、大きな音…「大音」、微かな声…「希声」、大きな象…「大象」、
言葉で言い表せない…「無名」、施し…「貸」、しかも…「且」、
成し遂げる…「成」

笑われないようでは、天地自然の原理として不十分

天地自然の原理を学んだなら、心にピンときて、早速実行しようとするかどうかが肝腎です。例えば、水は低きに流れるという原理を知ったときに、それを生き方に置き換えて、謙虚な態度を取ろうとするかどうかです。腰を低くすることの大切さに気付き、それを実践出来るなら「上等の士」となります。

学んだことの意味は分かる。でも、いざ実行となると半信半疑。「分かったようであり忘れたようでもある」という場合は、一段下の「中等の士」の段階です。

さらに下がって「下等の士」になると、道に関する話を聞いて、理解するどころか相手を馬鹿にして大笑いします。ぺこぺこ人に頭を下げるなんて馬鹿馬鹿しい。意味もなく謙(へりくだ)っていたら、なめられてしまって損をするだけだ。上から威圧し、力で抑えなければ、人は動かせるものではない、などと言って老子の考え方に反発するのです。

ところが老子は、笑われてへこんだりしません。馬鹿にされることは、初めから承知しています。むしろ、凡俗な連中に笑われないようでは、天地自然の原理として不十分であるとしました。

調和と対立を比べれば、(一般的に)後者の方が意識のレベルが低い状態となります。意識のレベルが低い者ほど、力で相手をねじ伏せようとする傾向が強くなり、それを覇道といいます。

覇道の世界の住人に王道(徳で治める道)や和道(自立共生の道)の話をしますと、一笑に付されることがよくあります。そうかといって、ただ笑われて黙っているだけでは埒(らち)が開きません。そこで老子は、格言を元に、次のような逆説的な話を投げ掛けます。(続く)