No.89 松下本は、さらりと読めてしまうから要注意

必要なときに必要なことを行うのが道

『老子』そのものが逆説的であると言えばその通りなのですが、本章にも謎かけのような言葉が、いろいろ出てまいります。

「明らかな道は、薄ぼんやりしているかのようだ」。これは、シンプルで分かり易いものほど、中味の薄いものに感じてしまうという意味の言葉です。

「明らかな道」というのは、これこそ天地自然の働きの基本と呼ぶことの出来る、明白な原理のことです。経営であれば、必要なことを必要なときに行うのが「道」であり、そのことを松下幸之助翁は「雨が降れば傘をさす」と言われました。

誰でも分かるくらい明らかな原理は、当たり前すぎて無視されることが多いものです。「雨降りに傘をさすことの、一体どこが原理なのだろうか」というふうで、薄ぼんやりとしか受け止めて貰えず、そこに秘められた深意をなかなか掴んでくれません。

経営に、一発逆転の魔法や、手品のような方法は無い。なすべき仕事を飽きずにきちんとやるところに成功の法則があり、その積み重ねに繁栄への道があるということを、松下翁は「雨降りと傘」に譬えて言いたかったのです。

自分を出さないから、ぼんやりした愚か者に見えてしまう

実際、松下翁の本は、さらりと読めてしまうところに注意が要ります。文章が読み易いから「その通り、本当にそうだ」と読めてしまい、一回読んだだけで、大体が分かったような気分になってしまうのです。

新味に乏しいと早合点してしまうのも松下本の性格です。でも、何度も読み返しているうちに、新味に乏しいどころか、真味にも深味にも溢れていることに気付かされてまいります。何事につけ、シンプルで明快な内容のものは、当然のことが書いてあると思うだけで、却って印象が薄くなるというわけでしょう。

あるいは、「薄ぼんやり」というのは「明らかな道」を体得した、老子流の聖人が醸し出す雰囲気のことを言おうとしたとも考えられます。自分を前に出さないことをよしとするのが道家の生き方であり、飾らない生き方をモットーに、知識や能力をひけらかすことがありません。そういう人は一見すると暗い、ぼんやりした愚か者に見えてしまうのです。(続く)