No.95 懐に「狂気」を忍ばせよ!

いざというときの切れ味や鋭さを失ってはならない

四角いものがあり、それが無限に大きくなれば一体どうなるでしょうか。老子は、四角であるという形状自体に意味が無くなると言いました。「無限大の方形は、隅角(ぐうかく)が無いかのようだ」と。あまりにも大きいから、隅(すみ)や角(かど)が無いのと同じになるというわけです。

人間にとっての隅角は、衝突や摩擦の元になるものです。「あの人は一癖ある」とか、「彼は難しい性格をしている」などと表現するときの「一癖」や「難しい性格」が、それにあたります。

そういう人に対して世間は、決まり文句のように「もっと丸くなりなさい」と諭します。ところが、言われてすぐに丸くなるような人は滅多にいません。持って生まれた性格を変えるのは、本当に大変なことです。

それに、隅角を取って丸くなれたとしても、ただ小さくまとまるだけでは仕方ありません。せっかくの個性や天分が消え、面白味のない人間に落ち着くだけとなります。

大きな人物となるには、天性の素質、つまり先天の徳を失うことなく、しかも低レベルのぶつかりを起こすことのない器量を養うことが必要です。それには、大円と見間違うほどに隅角を大きくし、いざというときの切れ味や鋭さをそのまま失うことなく、謙虚な器を併せ持つようにすればいいと。それが、老子の「谷」の教えなのです。

単に「小さな和」を図るだけではダメ

この「丸みと角」の関係について、近代日本経済の基盤を築き、日本資本主義の父といわれた渋沢栄一翁は、次のような言葉を残しています。

「私は不肖ながら、正しい道に立ってなお悪と争わず、これに道を譲るほどに、いわゆる円満なふがいのない人間ではないつもりである。人間にはいかに丸くとも、どこかに角がなければならぬもので、古歌にもあるごとく、余り丸いとかえって転びやすいことになる。」(渋沢栄一著『論語と算盤』国書刊行会48ページ)。

日常は円満に過ごしていても、ここ一番というときは、持ち味の角(かど)を角(つの)に立て、意志を貫く姿勢がリーダーに求められます。単に「小さな和」を図るだけでは、厳しい乱世を乗り越えられものではありませんから。

不正を許さず、旧弊を破壊して止まない正義感があり、「あいつならやってしまうだろう」と思わせる「狂気」が必要というわけです。激動期の志士ならば、周囲に恐さや危なさを感じさせるくらいで丁度いいのです。

槍でも刀でも、錐(きり)でも鎚(つち)でも構いません。天下国家のため、何らかの狂気を懐に忍ばせて生きていきましょう。それが、平成のサムライの生き様なのです。(続く)