No.96 大器晩成であった龍馬、西郷、海舟

大人物ほどゆっくり成長し、晩節に至っても成長を止めない

第四十一章の、一番有名な言葉である「大器は晩成する」に辿り(たどり)着きました。大人物ほどゆっくり成長し、晩節に至っても成長を止めない、というのが「大器晩成」の意味です。

「大器」とは、元々鼎などの青銅器のことだったらしく、大器が人間としての器を指すようになるのは後になってからのことでした。大きな青銅器(大器)であれば、製造に時間が掛かります。完成が晩(おそ)いから、大器晩成なのです。

これを人間に置き換えれば、大人物ほど大成が晩く、その分いつまでも成長をやめないということになります。大人物とは大きな事業を成し遂げる人のことで、天性の徳(先天の徳)を生かしながら、それを努力して磨くことで後天の徳とし、人物を大きくしてまいります。それには年月を必要としますから、どうしても晩成とならざるを得ません。

修行期間に十分な時間を掛けた志士たち

幕末の志士たちも、大人物ほどゆっくり成長しました。例えば、坂本龍馬は33歳(数え年、以下も同じ)で亡くなりましたが、28歳で脱藩するまで人生の方向性が殆ど確立していませんでした。薩長同盟や大政奉還に活躍したのは、亡くなる前のわずか3年間のことです。

西郷隆盛であれば、名君の島津斉彬に見出されて一時期「雄藩連合運動」に挺身しましたが、安政の大獄で挫折します。奄美大島に身を隠した後、徳之島と沖永良部島に流され、計5年に渡って不遇のときを過ごすのです。それが、心胆を練る修養期間となりました。その後、第一線に復帰し、薩摩藩のリーダーとして本格的に動くのは38歳を越えてからでした。

また勝海舟は、30代が修行期間でした。33歳から37歳まで長崎海軍伝習所で過ごした後、38歳のときに咸臨丸で渡米し、人物と器量を練っていきました。そうして、40歳で軍艦奉行並となって世に出ます。

龍馬と西郷と海舟、この3者は大変深い関係にありました。龍馬と西郷は盟友であり、西郷は、龍馬が亀山社中をつくるときに助けています。龍馬が周旋した薩長同盟では、薩摩側のトップが西郷でした。

西郷と海舟は、あの江戸城無血開城の直談判をやったことで知られています。それから海舟と龍馬は、師弟の関係でした。龍馬は、海舟の神戸海軍塾(勝塾)の塾頭になっています。

早ければ20歳前で志士として名乗りを上げる者が多くいた中にあって、彼らは確かに晩成でした。この大物3者は、修行期間に十分な時間を掛け、世に出て活躍するのが遅いことでも共通していたのです。(続く)