No.101 自立が無ければ共生は起こらない

弱肉強食と食物連鎖

この世は基本的に、対立で成り立っているのか、共生で成り立っているのか。

生物の世界であれば、弱肉強食が普通だから対立に決まっている。いや、群をつくることで子孫を育てている猿などを見れば、そこに共生関係があるのは明らかだ、などと相反する意見が出てきます。歴史観においても、歴史を階級間の闘争の結果と見るものから、国民の協力と努力の賜と見るものまで様々です。

結論を言えば、対立と共生の両方で成り立っているのが、世界の実際ではないでしょうか。対立と共生は、どちらもこの世の真実であり、特に低いところ(部分)を見たときは対立が、高いところ(全体)に目を遣れば共生が見えてくる傾向があると思うのです。

肉食獣のライオンが、草食動物のシマウマを襲います。鷹や鷲などの猛禽類が、小動物を捕獲します。そういう現実を見れば弱肉強食は明らかです。そこには、食う者と食われる者の対立があるのです。

その一方で、生物界全体を見ると、食物連鎖という一種の共生関係が存在しています。小さな魚を、より大きな魚が食べるという、そこだけみれば弱肉強食なのですが、頂点に位置する一番大きな魚が死ねば、最も小さな微生物がこれを分解します。食物連鎖という大きなつながりによって、共生的な循環システムが成立しているのです。

二軒の釣具店が並んでいたら、商売がどうなったか

企業活動にも、部分における対立と、全体における共生の両面が認められます。自分と同業の相手は、通常ライバルと見なされます。通りを隔てた向かい側に同じ業種の店があれば、その店の客の入りが気になって仕方なくなります。目障りだから閉店になってくれたらいいのに、と思ったりもします。

一方で、近くに同業者が集まりますと、集客力向上の効果が起こります。ラーメン店が数件集まれば、そこが一つの“ラーメン街”となって人が集まってきます。隣の店に負けない味を出そうという競い合いから、それぞれ実力を伸ばしていくことにもなるでしょう。切磋琢磨に付いていけなくて撤退する店も出るでしょうが、それは実力が足りなかったのだから仕方のないことです。

筆者が子供の頃、実家近くのバス通りに、釣道具店が二軒ありました。一軒の民家を挟んで、同程度の大きさの釣具店が並んでいたのです。小学校の頃の印象ですが、両店共、子供客にも親切であったことを記憶しています。ライバル店があることの効果だったのだろうと思われます。

欲しい道具が、どちらかの店で見つかるだろうということで、かなり遠隔地からも客が来ていました。もう一軒覗けるということ自体が楽しみでしょうし、一方が休みでも、もう一方の店は開いているだろうという期待感もあったはずです。

相手がいることで自分も成長できる

そうしてみると、同業者というものは、本当に有り難い存在ということになります。相手がいることで自分も成長できる、という共生関係が成り立つからです。

どんな業種でも、一社のみでは市場が広がり難いものです。ただの独占では限界があるわけで、仲間がいてこそ世間の目を引くことになり、業界が育ち、市場が形成されてまいります。

そのときに大切なことは自立です。自分や自社の存在基盤が確立されていませんと、共生関係に参加することは困難となります。共生は、単に競わないことを意味したり、努力しないでも救われたりするといった、怠惰を容認する考え方とは違うのです。

互いに相手を必要とし合う関係が共生ですが、自立しようとしなければ、仲間に加われない。それが、自立共生の世界です。

大きな事故や震災など、個人で解決できる範囲を超えた被害の場合は、政治による社会的救済が必要ですから話は別です。が、そうでない限り、まず自立力が問われるのが現実社会です。「共生」に生きることの厳しさを、しっかりと肝に銘じておきましょう。(続く)