No.106 トップには、茶目っ気やユーモアが必要

「知らぬはトップばかりなり」

陰気と陽気、それらを調和させる沖気の説明をし、発展的に陰陽論の意味を述べたところで、第四十二章の本文に戻ります。

続きは「人の嫌うところは、孤児と寡人と不幸者だ。それなのに王侯は、それらを自称としている」からです。「孤児と寡人と不幸者」は第39章にも出ており、既に説明しています。

これら、みなしごや独り者、幸福をつくる力が足りない者に、自ら進んでなりたい者はいません。ところが、王侯はそれらの言葉を自称に用いていると。

そうする理由は、上に立つ者ほど、謙虚さが必要なところにあります。王侯の回りの者は君主の権勢を恐れ、耳に心地いい事ばかり告げてきます。プラス情報のみ集まってきて、重大な問題にも関わらず「知らぬはトップばかりなり」という閉鎖的な状況が、いつの間にか生じてしまいます。その結果、客観的・大局的な立場を失って、的確な判断や決断を下せなくなってしまうのです。

沖気は、触媒的な働きを持っている

先に述べた通り、沖気には、それ自体の力は殆どありません。でも沖気が加わることで、対立している二者を互恵共生の関係に変えてしまいます。陰陽を調和させる、触媒的な働きのある気だから出来ることです。

君主は、いろいろなタイプの部下を上手くまとめて、全体の調和を図らねばなりません。陽気の強い厳しいタイプと、陰気の強い優しいタイプをつなげられるよう、沖気を備えていることが求められます。普段は「ただそこにいる」という沖気そのもので、組織全体を綜和にしているのです。

また君主自身の中にも、陽気と陰気が併存しています。注意すべきときに激しく部下を叱る山の威厳と、額に汗した働きを労う谷の器量です。そこに沖気が備わったなら、さらに人間力に満ちたトップに成長することでしょう。

笑いや笑顔には、沖気の働きがある

では、トップが持つべき沖気とは、一体どのようなものでしょうか。その一つとして、場の緊張感をほぐし、余分な力をスッと抜いてくれる、茶目っ気なりユーモアを挙げたいと思います。

それは、堂々たる山の偉容とも、深淵なる谷の静寂さとも違う人間力です。明るく目立つ様子は陽気のようですが、山の威厳と同じではありません。皆の緊張を和らげる点では陰気のようですが、谷の静けさや暗さとは性質が異なります。

茶目っ気やユーモアそれ自体には、陽の威厳も陰の器量もありません。しかし、笑いには陽の人も陰の人も巻き込んで、一つにつなげてしまう沖気の働きがあります。

一流の人物ほど、周囲を笑顔にさせる沖気を出しております。迫力に満ちた強烈なオーラとは違う、自然で温和なオーラです。(続く)