No.113 体を鍛えることと、心を高めることは二つならず

武士道も身体を重視した

名誉や財貨よりも自分の体を大切にしなさい。聞き方によっては、まるで臆病な生き方を勧めている教えであるかのようです。成功への努力を放棄し、繁栄への欲望も捨て、ただ自分の命さえ守れたらそれでいいとする、逃避の教えではないかというわけです。

「命よりも大切なものがある」、「死ぬ方を選ぶことで、貫かなければならない大義がある」。そう教えるのが武士道です。武士の生き様からすると、名誉を捨てて我が身を守れと教える老子の思想は、卑怯者を育てるだけのものであると、ばっさり斬られてしまうでしょう。

しかし、武士道だって身体を大事にしております。養生を軽視したりしません。軽視していないどころか、肉体の鍛錬を忘れることなく日々を生きているくらいです。いつ刀を抜いて戦う場面に遭遇するか分からない世の中にあって、抜刀するのが今日であっても恥をかくことがないよう、熱心に稽古に励むのが“武士の稼業”なのです。

心と体は一つ

「心身一如」という言葉があります。そもそも心と体は一つであって、明確に分離出来るものではありません。精神と肉体は、(説明の)便宜上二つに分けているに過ぎないのです。人間ならば、外から見た(表観)場合を肉体、内から観た(裏観)場合を精神と呼んでいます。両者が融合して一人の人間を形成しているのであって、別個に心と体が存在しているわけではないのです。

精神に動揺が起これば肉体に歪みが生じますし、肉体に問題が生ずれば精神が影響を受けます。嬉しいことがあれば疲れが吹き飛びますし、体にいい運動をすれば気持ちが整います。

心身は一如であるが故に、体を軽視してはならないのであり、精神を磨くには身体を訓練するのが最も有効となります。武士は精神を鍛えるために、剣術や体術、弓術や槍術など、武道によって心身の鍛錬に励みました。

体を通して心を高めるのは、激しく動くスポーツや武道ばかりではありません。禅やメディテーションも効果が高く、呼吸を深めることで精神を安定させることが出来ます。あるいは、掃除や整頓に体を動かせば、心が洗われてまいります。

体を鍛えることと心を高めることは相重なる関係にあり、身体を損なったら、肉体を通して(一如である)精神を磨くことが出来なくなってしまいます。だから老子は、身体を大切にせよと言ったのではないでしょうか。(続く)