No.117 過去の地位や名誉に囚われない人物が必要

憎まれ度は、改革進展の物差し

先に述べた通り、改革というものは進めば進むほど、既得権益を保持している者から憎まれます。歴史が大きく変わるときの改革ほど、一般に憎まれ度が高くなるものです。

歴史の記述は、勝者や成功者を称える内容が多いのが普通です。成果を上げた改革者に対しても、基本的にその業績を肯定する見解をまとめることになります。ところが、改革の指導者は、世の中と体制が変わるその陰で、同時代の多くの人々から敬遠され、誹(そし)りを受けています。

称賛の声が上がるのは死後になってからのことであり、生きている間は悪口を言われてばかりということが多くあるのです。そうした苦労を見ませんと、転換期の指導者の人生は、半分の理解で終わってしまいます。

いっそ、こういう考え方も必要でしょう。憎まれ度は改革進展の物差しであり、嫌われることは改革者の名誉であり勲章。本当に、それくらいの覚悟がなければ立ち向かえないのが、転換期の改革という大事業ではないでしょうか。

思う存分働いたら、さっさと身を退く

昔の改革は今よりも、ずっとやりやすかったのではないかという意見があります。意見調整に努め、多くの人々の賛同を受けねばならない今日に比べ、主君の命令に絶対服従であった封建時代の方が、楽に違いないというものです。確かにそういう一面もあるでしょうが、既得権益への執着心といった人間の本質に大きな変化がない以上、大変さに変わりはありません。

孤独な人生を歩む改革者には、この道で間違いないんだという信念と、私心の無い廉潔さが必要です。坂本龍馬は新政府のメンバーに加わろうとせず、維新後の夢を「世界の海援隊」に置きました。その龍馬の師匠であった勝海舟は、幕府の幕引き役を担った後、明治政府の参議兼海軍卿などに就きはしたものの、既に表舞台から退いておりました。

思う存分働いて目的を成し遂げたら、龍馬や海舟のように思い切りよく身を退く。そういう老子流の潔さが欲しいというわけです。

元帥を辞退し、故郷に帰って中学校長になった人物

そこで、成すべき事を成したら郷里に帰り、余生は若者や後進の育成に励むという生き方はどうでしょうか。明治の諸制度確立期を過ぎてからの人物ですが、大活躍後、郷里に帰って中学校長になった大将がいました。

その人の名は秋山好古(よしふる)。日露戦争の陸戦を勝利に導いた人物です。騎兵第1旅団長としてロシア軍と戦い、世界最強の騎兵集団(コサック騎兵)を打ち破りました。その時は少将でしたが、後に大将になります。さらに元帥昇進の話もありましたが、本人は固く辞退しました。

やがて秋山は故郷の松山に帰り、本人の希望で中学校の校長に就任します。元帥になってもおかしくない人が、晩年に田舎の校長になるなどということは、当時あり得ないことでした。

秋山大将は、贈り物を受けたら、その多くを回りの者に与えてしまい、家には目録しか持って帰らないといった執着心のない人でした。そういう過去の地位や名誉に囚われない、あっさりした人物が、これからの日本には大いに必要なのです。なお、日本海海戦において丁字戦法を立案し、日本を勝利に導いた参謀の秋山真之(さねゆき)は、好古の実弟です。(続く)