No.119 大人物は、例外なく公利公欲の人

私利私欲を持つ人が動けば動くほど、世の中は乱れていく

地位や名声にしがみついたりせず、後のことは潔く人に譲り、率先して引退する。それが、老子が尊ぶ無為の生き様であり、東洋人や日本人が理想とした「美しい生き方」です。

でもそれでは、あまりにも淡泊。何だか中途半端な生き方を勧めているようで、理解し辛いという意見もあるでしょう。もっと食らいついていくような執念や、死んでも諦めないくらいの執拗さが必要ではないかという指摘です。

それに対して、筆者はこう思っています。老子の言う無欲とは、私心から出る欲が無い、または少ない(寡欲)ということであり、熱意や継続心の否定とは全然違うものであると。

問題は、何が行動の原点になっているかです。原点に強い私利私欲を持つ人が動くと、ろくなことがありません。我欲の激しい人が上に立って動けば動くほど、組織や世の中は乱れていくものです。

確かに、欲が無ければ生きていけませんし、欲望は世の中が進化する原動力です。しかし、私心が薄いということが前提でなければなりません。私利ではなく公利、私欲ではなく公欲であって欲しいということです。

廉潔でさっぱりした人であれば、世間が放っておかない

私が薄ければ、俺が俺がという低次元のしつこさが消えてきます。大人物は例外なく公利公欲の人であり、精力的でパワーのある“オーラ”を放っていると同時に、世間の毀誉褒貶(きよほうへん、けなされたり誉められたり)に左右されない、淡々とした人間性を伴っております。

勿論、誰だってはじめから、そうした達観の心境になれたわけではありません。人生のどこかで躓(つまづ)き、苦しみ、悩んだ果ての、突き抜けた人生観として深めていった境地であるはずです。苦労が、その人の成長の糧になっているというわけです。

そして、自分から出たがらず、成功しても先に退こうとする人が、そのまま消えていくかというと決してそうではありません。廉潔でさっぱりした人であれば、却って世間が放っておかないものです。

「あなたにはもう一踏ん張り、まとめ役としてがんばって頂きたい」、「是非とも、後進の指導をお願いしたい」などと周囲から求められ、気が付けば皆の前に立っているということになるのです。あるいは、退いた地位よりも、もっと重要な役割が巡って来ることすらあるのです。(続く)