No.121 東洋的人物の時代が、もう始まっている!

成功したかどうかを、名誉や利益のみで計ってはいけない

そうして、仕事であれ、活動であれ、年輪のように一回りずつ大きくしていきましょう。何かで一発当てたり、一時の追い風やブームで急成長したりするのは、宝くじが当選したようなものです。大抵は気持ちが浮つき、地道に生きる慎重さを失うことになります。放漫な生き方となって身を持ち崩し、却って貧しくなることすらあります。老子の教える、重心を低く取る生き方が必要な所以です。

ともかく、成功したかどうかを、名誉や単なる利益のみで計ってはいけません。テレビによく出てくる有名人で、お金持ち。それが昨今の子供たちの憧れだそうですが、それで人物の価値を掴むことが出来るでしょうか。

名利で人を判断していたら、浅い見方で終わってしまいます。人格の優秀性や霊性の高さ、正義感や慈悲心の強さなどは、地位や肩書きだけでは判別できません。人の奥にある素晴らしさを、いつも裏観で見通すようにしましょう。

知られてよし、忘れ去られてもよし

有名になりたいという欲だけで生きている人は、いわば名誉病に罹っている人です。過度に知名度の高い人に憧れる人がいますが、そういう人は有名菌に冒されていると言えます。

東洋思想では、儒家であれ道家であれ、相手が有名であるというだけで価値を認めたりしません。儒家にあっては、中身が備わっての人格であり、道家にあっては、器量を備えての人間力です。特に道家では、名利に囚われない達観があって、はじめて人物を認めることになります。

東洋的人物であれば、相手の知名度に惑わされないだけでなく、自分が有名になった場合も思い上がったりしません。一時のブームが去り、知名度が下がっても、何事も無かったかのように静かでいられるのです。ブームで有名になったところで、自分本体の成長とは無関係なことですから。

知られてよし、忘れ去られてもよし。そういう心境で、世間の評判に振り回されたりせず、淡々と生きていくのみです。

大きな仕事は、大きな人物の登場によって起こされる

それは、あの西郷隆盛の「人を相手にせず、天を相手にせよ」(『西郷南洲翁遺訓』財団法人西郷南洲顕彰会)という境地に通じるものです。人ばかり相手にしているから評判が気になるのですが、天を相手にしたならば、人間レベルの名利を超えることになり、世間の評価なんて次第にどうでもよくなります。

また、西郷の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、个様(かよう)の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるる」(『西郷南洲翁遺訓』財団法人西郷南洲顕彰会)という教えも同様です。

脅されても怯まない。名誉や地位、金銭で釣られたりしない。そういう人間は、動かせないから大変困る。でも、そういう「始末に困る人」でないと、苦労を共にし、国家の大仕事を進めていくことは出来ない。ただし世間一般の眼からするとバカに見えてしまい、彼の人物の大きさは分からないものだ、という意味の遺訓です。

大きな仕事は、大きな人物の登場によって起こされます。東洋的人物の時代が、もう始まっています。読者の皆さんも、思い切って新しい時代に飛び込んで下さい!(連載「東洋的人物の研究」は終わります。新連載は「東洋的品格の
研究」です)。