No.3 上に立つ人、前を行く人の心得

◇どうしたらいいのか分からなくなって、身動きが取れなくなる◇

下に位置して沢山の谷川を集める、大河や大海のごとき人物の謙虚さ。
これについて、老子の言葉が続きます。「人の上に立とうと欲するならば、必ず言葉を謙虚に」せよと。

立場や能力、それに伴う経験や実績が上の人ほど、そうでない人に対して言葉を謙虚にしなさいと諭したのです。

上の立場の人とって、下の者の理解力の乏しさや仕事の遅さには、本当に苛立(いらだ)たしさを感じます。稚拙な報告に対して「一体何が言いたいのだ、余分な事は言わないで、さっさと結論を述べよ」と怒り、もたつく仕事に対して「一つの事にいつまで時間をかけるつもりか」などと声を荒げてしまいます。

しかし、下の者は、がみがみ言われるほど萎縮していきます。自分なりに一所懸命やっているのですから、叱られるほど、どうしたらいいのか分からなくなって身動きが取れなくなるのです。

上の人が下の人に合わせて仕事をするのは、本当に骨の折れることであり、ストレスが溜まります。それでも、そこをグッと堪(こら)えて、まず言葉からへりくだることを忘れてはなりません。

◇上にいても重くなく、前にいても妨げにならない◇

また、「人の先を行こうと欲するならば、必ずその身を後(あと)にせねばならない」と教えました。自分の成功や出世ばかり追い求めるのではなく、付いてくる仲間たちの成長や発展を考え、自分は皆の後から世に出ればいいというくらいの達観を持ちなさいと。

こういう考え方は、曲解しないよう注意深く受け止めねばなりません。踏み出すべきときに挑戦せず、前に立つべきときに後方の安全地帯に籠もったままでいいとする教えではないのです。

老子が「人の先を行こうと欲するならば」と述べている点に注目しましょう。
誰かが自分の先を行こうとするとき、それを邪魔に感じないのはどういう場合でしょうか。当然のことながら、自分の進む道にとって障害にならない場合です。

そして「身を後にする」というのは、名誉や利益を人に譲るということに他なりません。そういう度量の大きい人が指導者であれば、先にいても先にいるという感覚が全然しなくなります。

これらが、道家(老子や荘子)の理想とする指導者像です。道家の聖人になれば、言葉が謙虚ですから、上にいても人々は重いと感じません。
遮(さえぎ)ることをしませんから、前にいても人々にとって妨げになりません。

そうであれば、天下(世の中全体)は聖人(指導者)を推すことを楽しんで厭わなくなります。聖人は人々に対して争うことがないのですから、天下としても聖人と争うことがなくなります。そうして、気が付けば上に立ち、いつの間にか前を行くことになるというわけです。(続く)